2020年10月26日月曜日

2020年10月26日(ヨハネによる福音書6:1~40)

ヨハネによる福音書6:1~40
「よくよく言っておく。あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもとどまって永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」

主イエス・キリストは大勢の群衆がご自分の方に来るのをご覧になって、彼らをどうやって食べさせたら良いかと弟子に尋ねます。そう言われてもどうしようもない。弟子の方も困ってしまった。すると弟子の一人が子どものお弁当があるだけだと言います。少年の手にあった五つの大麦パンと二匹の魚。しかしそんな物は何にもならない。弟子たちはそう思いましたが、主イエスはそれをもっておよそ5000人の群衆を養いました。
しかし、また何時間かするとお腹は減ります。ご飯は毎日のこと、それどころか毎食のことですから、どんなに凄い奇跡を体験したとしても一回限りではどうしようもない。だから、彼らはイエスを王に祭り上げようとしました。毎食食べさせてもらえるように。しかし、「イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、独りでまた山に退かれた。」主イエスはそれを拒否したというのです。
どこに問題があったのか。主イエスが指摘したのが、今日の冒頭の聖書の言葉です。「よくよく言っておく。あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。」しるしを見ていない。ただパンを食べて満腹しただけだ。たった五つのパンと二匹の魚だけで5000人を養ったという奇跡の表面的な出来事や食べて満腹したという満足感しか見ていない。この出来事がしるしとして指し示そうとしていることを見ていない。そう言うのです。
それでは、このパンの出来事を主イエスは何のしるしとしていたのか。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもとどまって永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」私たちは朽ちる食べ物のことしか見ていない。しかし実はこの出来事は、イエスが私たちに永遠の命に至る食べ物を与えてくださっている、という事実のしるしだと言われます。私たちに永遠の命をくださっている、その命を養うためのパンをくださっている。主イエスのなさった奇跡は、そのしるしです。
私たちが今朝食べたご飯も、同じしるしです。日用の糧を神様に願い、そして神に与えられたもので命をつないでいる私たちです。この奇跡は、神が永遠の命を私たちに与え、養ってくださるという福音の事実のしるしです。この朽ちることのない、永遠の命に至る食べ物のために、私たちの今日一日の仕事を神様に献げましょう。

2024年4月20日の聖句

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