2020年10月31日土曜日

2020年10月31日(ヨハネによる福音書8:31~59)

ヨハネによる福音書8:31~59
「しかし、私が真理を語っているので、あなたがたは私を信じない。」

今日、10月31日は宗教改革記念日です。1517年10月31日、マルティン・ルターという一人の修道士がゲッティンゲンの城教会の門扉に公開質問状を貼り付けたことを記念します。その質問状は95箇条の提題と呼ばれる。第一の命題は暗記するに値する名文です。「私たちの主であり師であるイエス・キリストが『悔い改めよ』と言われたとき、それは私たちの全生涯が悔い改めであることをお求めになったのである。」なお、「全生涯が日ごとの悔い改めであることを・・・」とする説もあるそうです。
ルターの改革運動は罪の悔い改めや神を信じる信仰を問い直しました。ルターに始まった教会改革はやがて私たちの教会を生み出す流れにもなっていきます。ですから、私たちもただ信仰のみによって救われるという聖書の真理を受け入れ、大切にしているのです。
今日私たちに与えられている主イエスさまのお言葉は、その意味でとても厳しい言葉です。ただ信仰のみによって救われるという聖書のメッセージを頂いている私たちですが、主イエスはここで私たちの不信仰を厳しく指摘しておられます。「あなたがたは私を信じない。」
なぜ、信じないのか。それは「私が真理を語っている」からだ、と主は言われます。イエスが嘘をついているからイエスが信じられないというのなら話はよく分かる。ところがそうではなくて、イエスが真理を語っているからこそイエスを信じようとしない。そこに私たちの罪があると主イエスは言われる。
確かに、本当のことを指摘されるとかえって頭にきたり見境なく怒ったりしてしまうというのは身に覚えがあることです。主イエスが憎まれ、排除され、十字架にまで着けられたのは、この方が偽り者だからではなくて、それとは逆に真理を語っておられるからに他ならない。
そうだとすると、ただ信じることによって救われる、信仰によってだけ救われるというのは、イエスを偽り者とし、自分のプライドを守るためにイエスを排除した自分の罪を深く悔い改める中でしか言うことのできないことです。だから、私たちの悔い改めは、全生涯にわたる日ごとの悔い改めにならざるを得ない。私こそ偽り者であるのに、神は私を値なしに救ってくださった。今日はそのことを憶えて一日を始めたいと思います。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...