2020年10月4日日曜日

2020年10月4日(フィレモンへの手紙)

フィレモンへの手紙
「ですから、あなたが私を仲間と見なしてくれるなら、オネシモを私と思って迎え入れてください。また、彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それは私の借りにしておいてください。私パウロが自分の手でこう記します。私が返済します。」
フィレモンへの手紙は新約聖書に収められているパウロの手紙の中でも、特にプライベートな手紙、私信です。パウロが囚人であったとき、フィレモンという「愛する協力者」に送った手紙。要件は、オネシモというフィレモンの奴隷についてです。オネシモについて、パウロは「彼は、かつてはあなたにとって役に立たない者でした」と言っています。あるいは、冒頭に引用しているところで損害とか負債とか言っているのを見ると、オネシモは主人であるフィレモンに何らかの迷惑をかけ、懲らしめを受けることを恐れてパウロのところへ逃れてきたのではないか、と推測できます。
ところが、オネシモがパウロのところへ来たとき、フィレモンが想像していなかったことが起こったようです。「獄中で生んだ私の子オネシモ」とパウロは呼んでいます。獄中で生んだ私の子。恐らく、パウロが自分のところに尋ねてきたオネシモに福音を語り、オネシモは主イエスを信じ、洗礼を受けたのでしょう。パウロを通して主イエスを信じたので、パウロはそのように彼を呼んだのです。
パウロはフィレモンに向かって、今やオネシモがあなたの兄弟であることに気づいてほしい、と訴えます。これは実は、コリント教会で起こっていたのと同じ事柄です。奴隷と奴隷の主人との関係が、同じ神を信じることによって新しくなる。主人の方も、奴隷の方も、なかなか新しい関係になれるのは難しかったと思います。奴隷と主人との身分差は、当時の社会では絶対的であり、また常識、当たり前のことでしたから。当たり前がひっくり返るほど難しいことはありません。キリストを信じたとき、そういう驚天動地が起こりうるのです。
パウロはそのために、オネシモのことをフィレモンに保証します。とは言っても、パウロがオネシモの信用調査をして、大丈夫だと判断し得たからフィレモンに保証したということではないでしょう。キリストにあって、オネシモを信頼した。それだけだったのだと思います。共にキリストを信じるとき、私たちの関係は新しくなる。信じること、任せること、愛すること。それらはすべてキリストが私たちにしてくださったこと。このようにして、私たちの関係は新しくなるのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...