2020年11月11日水曜日

2020年11月11日(ヨハネによる福音書14)

ヨハネによる福音書14
「私は、あなたがたのもとにいる間、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな、おびえるな。」

聖霊なる神様。このお方は、私たちにキリストの言葉を思い起こさせてくださいます。私たちがキリストの福音を聞き、それを信じ、そして福音の言葉に生きることができるのは、聖霊が私のうちに働いてくださっているから。主イエスはそのように言われます。
自分という人間を正直に内省してみると、神様を信じてるはずの信仰や主イエスへの愛、そういうものへの自信がなくなってしまいます。自分の不確かさや弱さばかりが目に付きます。聖書に書いてあること、教会で聞かされる言葉と自分の現実とのギャップに苦しくなることもあるかもしれません。しかし、私たちは、その点で心配してはならないのです。信仰は私の決心や心の強さや高潔な生き方の問題ではなく、聖霊が私のうちに働いてくださっているという事実に基づくからです。そして、聖霊が私のうちに働いてくださっているというのはキリストが約束してくださった現実であって、私たちはそれを信じるだけです。信仰は、神を信じて神を仰ぐことです。
キリストが私たちに語りかけ、聖霊が私たちのうちに根付かせてくださる福音は、平和の福音です。「私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな、おびえるな。」この世が与える平和は、実は平和と言うよりも安心だったり、安全だったりするのだと思います。力によって保証したり、甘言で現実をみせなかったりします。主イエスは、ご自分の平和をそのようには与えない。キリストの平和は、聖霊が思い起こさせるキリストの言葉のうちにあります。キリストの言葉、それは私たちのためにご自分の独り子をも与えてくださった神の愛を証言する福音の言葉です。私たちは不確かですが、神の愛は確かです。

2025年1月11日の聖句

私は彼らと平和の契約を結び、これは永遠の契約となる。(エゼキエル37:26) 今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、恵みと平和があなたがたにあるように。(黙示録1:4,5) 聖書は神さまと私たちとの関係を「契約」という言葉で表します。例えば、箱舟を降りたノアに神さまは、虹...