2020年11月12日木曜日

2020年11月12日(ヨハネによる福音書15)

ヨハネによる福音書15
「これらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。私の命じることを行うならば、あなたがたは私の友である。私はもはや、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。私はあなたがを友と呼んだ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」

私たちは、主イエスの友です。主が私たちを友と呼んでくださいました。私たちはこの福音書によって、主イエス、そして師イエスとお呼びすることを学びました。今、もう一つの呼び方を知りました。友イエス。私たちの友だちでるイエス。何と嬉しい呼び名でしょうか!
友である私たちに主イエスが命じるのは、「私があなたがを愛したように、互いに愛し合いなさい」ということです。互いに愛し合うなら「あなたがたは私の友である」と主は言われます。
息子や娘を見ていると、次々に友達を作っていくことが少しうらやましくなります。大人よりも子どもの方が世界が広いのではないかとさえ思う。損得を考えないで人と付き合うことができる分、子どもの方が上等なのではないかと思います。
主イエスが私たちを友と呼んでくださるとき、主は私たちを友とすることがご自分にとって得なのか損なのかということは計算なさいません。計算していたら、私なんかとは付き合わないでしょう。だから、主は言われるのです。「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と。この方は私との付き合いで得があるどころか、友と呼ぶ私のためにご自分の命まで捨ててくださった。そうやって、私の友になってくださいました。
私たちは主イエスの友であるからには、主がしておられることを知っているはずだとイエスは言われます。主イエスが父から聞いて私たちに伝えてくださったこと、それは、神が私たちのためにご自分の独り子をも与えるほどに愛してくださったことです。父の愛の御心、イエスの私を友と呼んでくださる愛、キリストは私たちに神の愛という真理を伝えてくださいました。
「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ」。私たちがイエスを友と呼んだのではなく、主が私たちを友と呼んでくださいました。友よ、というイエスの呼び声が、私たちを神の愛の中に、キリストの喜びの中に招き入れてくださいます。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...