2020年11月24日火曜日

2020年11月24日(ヨハネの手紙一2)

ヨハネの手紙一2
「世も世にあるものも、愛してはなりません。世を愛する人がいれば、御父の愛はその人の内にありません。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、見栄を張った生活は、父から出たものではなく、世から出たものだからです。世も、世の欲も、過ぎ去ります。しかし、神の御心を行う者は、永遠にとどまります。」

ヨハネによる福音書やこのヨハネの手紙では、「世」という言葉を独特のニュアンスを持って使っています。字としては普通の「世界」という意味の言葉ですが、ヨハネはある独特な意味を持ってこの言葉を使っています。ヨハネが「世」というとき、それは基本的には「神に逆らう世界」といったニュアンスがあります。そうであるからこそ、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」という言葉は重い言葉でもあると言えるのだと思います。
そして、ここでの「世も世にあるものも、愛してはなりません」という言葉は、とても大切なことを教えているのだと思います。これは、神に逆らうものは憎め、関係も持つな、と言っているのではありません。それは、神に逆らう世を神が愛されたという事実からも明らかです。そうではなく、私たちの肉の欲、目の欲、見栄を張った生活を愛するのか、神を愛するのか、二つに一つだと言っているのです。それらのものは神から出たものではなく世から出たもの。言葉を換えれば、私たちの罪が生み出す欲望。だから、神への愛とは両立し得ないとヨハネは私たちに言うのです。
それでは、世を愛するのではなく神を愛するというとき、私たちはいかに生きるのか?「きょうだいを愛する者は光の中にとどまり、その人にはつまずきがありません」と言います。きょうだいを愛するということに結実する神への愛に生きるように、と聖書は私たちを促すのです。
昨日、日本中会の会議が行われました。その中で、佐藤先生が日本中会が派遣した宣教師であるということを公認し、今後も支援を継続するということが話し合われ、無事に承認されました。その時にルイビル日本語教会の長老がコメントをしてくださいました。ルイビルの教会は駐在の人を初めとして大変流動性が高く、洗礼を受けて教会の中心的メンバーになっても数年で日本に戻ってしまう人が多い。その意味でも経済的に強くはない。しかし、日本中会がこれまでも経済的に支えてくださったことが本当に大きな励みとなり、力となって、そのささげ物の成果が、ここで伝道の実りとして結ばれている。ルイビルの教会としても佐藤先生を縛り付けておくのではなく、送り出して、各地での宣教のために献げている、というお話でした。さがみ野教会は、最初に佐藤先生を献げた教会です。その献身にルイビルの教会も加わり、日本中会の教会も加わり、伝道の実りを結んでいる。ここにも、すでにこの世ではなく神への愛に生きる教会の姿が見えています。

2024年4月19日の聖句

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6:22) (イエスの言葉)「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 風水害や地震などの自然災害の多い場所に住んでいると、今日の主イエスの言葉はよく分かります。「岩の...