2020年11月26日木曜日

2020年11月26日(ヨハネの手紙一4)

ヨハネの手紙一4
「イエス・キリストが肉となって来られたことを告白する霊は、すべて神から出たものです。あなたがは、こうして神の霊を知るのです。」

私たち人間とは、いかなる存在なのか?人間存在を「心と体」という言葉で捉えることが多いと思います。しかしわたしは、聖書は心と体というだけでなく、心と体と霊という三つのあり方で捉えているように思っています。人間には肉体がある。それだけではなく、精神的な動き、心の活動があります。その豊かさは、人間としての豊かさに直結します。しかし、それだけでは人間という存在をトータルで捉えることはできません。人間は、心と体という自分の内側だけで完結するのではなく、自分を越えた大いなる存在、永遠なる存在を求めます。永遠を求める憧れが、人間にはある。ボーレンというスイスの牧師は、女性が化粧をするということにもその永遠への憧れは現れていると言っていました。人間は自分を超えた存在に憧れ、新しいものになろうとする。永遠を求める人間の憧れの座は、霊です。人間は霊的な存在だから、永遠を求めるのです。
人間の霊の起源は、神様です。神様ご自身こそが霊的な方です。神はご自身の霊を私たちに分け与え、私たちを神様ご自身を求める者にしてくださいました。「神が私たちの内にとどまってくださることは、神が私たちに与えてくださった霊によって分かります。」しかし、だからといってどんな霊でも信じるのではなく、何にでもやたらに憧れるのではなく、それが神から出た霊かどうかを確かめなさい、と言います。どうやって確かめるのか?「イエス・キリストが肉となって来られたことを告白する霊は、すべて神から出たものです。」キリストを告白する霊なのか?私たちの憧れはキリストへと向かっているのか?聖書はそのように問います。
キリストへの憧れは、私たちを愛することへと導きます。キリストが私たちを愛してくださったからです。「神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に現されました。」「神は愛です。愛のうちにとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」そもそも、私たちの憧れをご自分への憧れとして方向付けてくださること自体が神の愛そのものです。「私たちが愛するのは、神がまず私たちを愛してくださったからです。」私たちは神の愛そのものであるキリストを求め、このキリストのゆえに、今日一日愛に従って歩みたいと願っています。必ず、キリストが共にいてくださいます。愛の失敗を恐れず、キリストと共に今日の一日を歩んでいきましょう。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...