2020年11月2日月曜日

2020年11月2日(ヨハネによる福音書9:24~41)

ヨハネによる福音書9:24~41
「イエスは彼が外に追い出されたとお聞きになった。彼と出会うと、『あなたは人の子を信じるか』と言われた。彼は答えて言った。『主よ、それはどなたですか。その方を信じたいのですが。』イエスは言われた。『あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。』」

生まれつき目の見えない人を見えるようにした。主イエスのなさったしるしです。この奇跡がきっかけになって、この人は元いた世界から追い出されることになりました。他の人と同じようにイエスを呪わなかったからです。この世界は神を憎み、イエスを憎むことによって連帯している。そして、その憎しみを共有しないものを排除し、追い出す。そういう世界です。
ルカによる福音書に伝えられている失われた息子も、そこに急所があります。彼の問題の急所は放蕩の限りを尽くしたとか破産したとか、そういうような倫理的な問題、あるいは成功者になれなかったという失敗ではありません。この譬えの父の姿に託されている神を捨てたことが問題の本質です。その意味で、やはり父への憎しみに生きていた兄息子もまったく同じように失われた存在ました。
ヨハネが伝える生まれつきの盲人が生きてきた世界も、神を憎む世界です。イエスが神の真理を現すと排除し、それを信じる者を追い出す世界です。しかしこの盲人だった人は、この世界から追い出されたところでイエスと出会い、信じました。ただ自分の目を治してくれた奇跡を行う人としてではなく、人の子であるイエスを、神の子であるイエスを信じたのです。この世界の外で。そしてイエスと出会ったとき、彼は本当の意味で「見える」人になりました。神の子イエスを見るためにこの目が開かれたのだと知ったからです。
私たちは、見えているでしょうか。「その方を信じたいのです」と願う私たちの祈りを、主イエスは必ず聞き入れてくださいます。キリストを信じる信仰を私たちに必ずくださいます。私たちの目を開いてくださいます。私たちが、主イエス・キリストを見つめるために。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...