2020年11月4日水曜日

2020年11月4日(ヨハネによる福音書10:22〜42)

ヨハネによる福音書10:22~42
ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。イエスは言われた。「私は、父から出た多くの善い業をあなたがたに示してきた。そのどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」ユダヤ人たちは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒瀆したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」

ヨハネは高まりゆく人々の殺意を隠すことなく私たちに伝えています。人々は石を握りしめ、主イエスを殺そうとした。これが初めてのことではありません。以前にも、同じように人々は怒りに燃えて石を手にしました。なぜ、イエスはそこまで憎まれたのか。主イエスご自身が問うておられます。「私は、父から出た多くの善い業をあなたがたに示してきた。そのどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」
この福音書では、カナの婚礼のときの出来事から始まって、38年間病気だった人を癒やしたり、5つの大麦パンと2匹の魚で5000人の大群衆を養ったり、生まれつき目の見えない人を癒やしたり、主イエスはいろいろな善い業を行ってきました。それらはしるしです。単に凄い奇跡を起こして人々を驚かせるということではなく、その善い業に込められたメッセージがあったのでした。それはこの方、イエスこそ神のもとから来た子なる神、私たちのための神の愛そのものだ、というメッセージです。奇跡はメッセージのしるしです。
ところが、ユダヤ人たちはイエスに言いました。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒瀆したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」イエスを石で打ち殺そうとしたのは、イエスが自分を神として神を冒瀆しているからだ、と言うのです。まさにイエスがしるしによって伝えようとしたそのメッセージを理由として、彼らはイエスを殺そうとした。
これは、私たち人間にとって神様がいかに邪魔な存在だと思われているか、ということの証拠だと思います。イエスはまさに神の子でいらっしゃるから、それが理由で殺されようとしている。何か凄い奇跡をするだけの人だったら、殺されることはなかったでしょう。しかしその奇跡に込められた神の子としてのしるしを感じ取った瞬間に、私たちはこの方を殺すのです。神様が邪魔だから。
しかし、私たちに命を得させてくださるのは、この神様です。私たちが生きること、互いに愛し合うこと、キリストの愛によって平和を得ること。この神様は私たちにそういうことを望んでいてくださる。本当に暖かい方です。私たちが生きることのできる場所はここにある。だから、悔い改めつつキリストの御許に帰りましょう。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...