2021年1月16日土曜日

2021年1月16日(詩編20)

詩編20
ある者は戦車を、ある者は馬を誇る。
しかし私たちは我らの神、主の名を誇る。
彼らは膝を折り、倒れた。
しかし私たちは起きて、まっすぐに立った。(8~9節)

ある者は戦車を、ある者は馬を誇る。ある者は豊かさを誇り、ある者は人気を誇り、ある者は名誉を誇る。ある者は成功を誇り、ある者は力を誇る。しかし私たちは我らの神、主の名を誇る。あなたは、何を誇りとしていますか?
プライドばかり高かったり、異様に自尊心が強すぎたり、他人を見下したりしているのは、とても見苦しいことだと思います。しかし、その逆に全然誇りがないというのも不健全です。いつも卑屈で、ひがんでいて、自己否定の感情から抜けられない。それでは心が不健康です。
私たちには、誇るべきものがある。しかし、この世で礼賛されている豊かさや力のようなものを誇るのではありません。私たちは私たちの神である主の御名を誇る。私たちは、私たちのために命を捨ててくださった神の子、イエス・キリストのお名前を誇ります。この私のためにご自分を献げてくださった方がいるという事実を誇ります。
「このように、私たちは信仰によって義とされたのだから、私たちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ています。このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとしています。苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むことを知っているからです」(ローマ5:1~3)。
キリストは私たちと神さまとの間に平和を築いてくださいました。だから、私たちは自分の苦難をも誇ることができます。私たちは神の栄光に与る希望を誇りますが、その誇りは苦難の中でも意味を持ち続けるからです。それは、戦車や馬を誇る者が決して知ることのない誇りです。戦車の力も馬の力も、結局はいつかは尽きてしまいます。膝を折り、倒れるとき、自分には価値がないと言わざるを得ない事態に直面したとき、私たちを支えきることのできるようなものではありません。ところが、キリストによって示された神の愛が変わってしまうことはないのです。だから、キリストを誇る誇りが空振りに終わることはないのです。

2024年12月23日の聖句

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