2021年1月19日火曜日

2021年1月19日(詩編23)

詩編23
主は私の羊飼い。
私は乏しいことがない。
主は私を緑の野に伏させ
憩いの汀に伴われる。(1~2節)

主は私の羊飼い。私たちにとってこの言葉はどれほど大きな慰めでしょう。主は、ただの羊飼いではありません。私の羊飼いです。私を緑の野に伏させてくださり、私を憩いの汀に伴ってくださいます。主イエスの声がここに響いています。「私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。・・・私は羊のために命を捨てる」(ヨハネ10:14,15b)。
この「緑の野」というのは、青々とした大草原ではなく、荒れ野に僅かに残る草地を意味するそうです。そうだとすれば、憩いの汀も渇いた地の小さな水場のことなのでしょう。この詩編は安全で豊かな場所の牧歌的な風景を描いたものではなく渇いた荒れ野で、しかしそれでも主ご自身が私の羊飼いとして私を守り、養ってくださることへの信頼の祈りです。

たとえ死の陰の谷を歩むとも
私は災いを恐れない。
あなたは私と共におられ
あなたの鞭と杖が私を慰める。(4節)

この詩編は4節から少し変わります。神さまを現す人称が、1から3節までは三人称です。英語に直して代名詞で言い表すならHeです。しかし、4節はそうではない。「あなたは私と共におられ」る。二人称、つまり「あなた」です。私と共にいてくださるのはHeではなく、あなたです。「あなた」とお呼びすることのできる方が私と共にいてくださる。だから、そこが例えそこが死の陰の谷であったとしても災いを恐れることがない。私を苦しめる者の前であっても、「あなた」が食卓を整えてくださるのですから。私たちのために命を捨ててくださった羊飼い、主イエスさまが今日も私たちを養ってくださるのです。

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