2021年1月4日月曜日

2021年1月4日(詩編6)

詩編6
主よ、帰って来てください。
私の魂を助けだし
慈しみによって、お救いください。
死ねば、誰もあなたを思い起こすことはありません。
陰府にあって、誰が感謝を献げるでしょう。
私は嘆き疲れました。
夜ごと涙で寝床を浸し
床を漂わせています。

夜を巡る描写が、第3,4,5編とかなり違います。平安のうちに身を横たえ、また朝を迎えると言っていました。しかし、この第6編では涙で寝床を浸している。きっと眠れなかったに違いない。しかも、この寝床は、単に一日が終わって眠りに就くということではないのだと思います。3節では「私は病み衰えています」と言っています。病気だったのでしょう。肉体も心も弱っていた。床に伏していた。6節の「死ねば」「陰府」という言葉を読めば、この人は死を強く意識していたことが分かります。床の上で絶望し、涙を流して寝床が浸るほどだった。そういう夜の祈りです。
私は、この詩編第6編が好きです。とても暗い詩編です。しかし、悲しいときにこれを読み、この詩編の言葉を自分の祈りの言葉として祈ると、癒やされます。私の悲しみや嘆きを言葉にしてくれているからです。詩編はそうやって使うものなのだと思います。聖書の言葉に対して「使う」というと少し不遜な物言いかもしれません。ただ、詩編は私たち自身の祈りになることを待っているのではないでしょうか。この詩編第6編も、例外ではないと思います。
「主は私の泣く声をお聞きになった」と言います。祈る者は知るのです。神がこの涙を覚え、私の泣き声を聞いてくださっていることを。「主が私の祈りを受け入れてくださる」のだということを。助けてください、救ってください。そう祈る私たちの祈りを、主なる神様は耳を傾けて聞いてくださいます。
だから、私たちは祈ります。「主よ、いつまでなのですか」と祈ります。「主よ、帰って来てください」と祈ります。祈る者を、主は必ず御心に留めてくださるから。私たちは主を信じ、祈るのです。

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