2021年2月17日水曜日

2021年2月17日(詩編55)

詩編55
私は神に呼びかける。
主は私を救ってくださる。
夕べも朝も、そして昼も
  私は嘆き、呻きます。
神は私の声を聞いてくださる。
たとえ闘いを挑む者が多くても
私の魂を平和のうちに贖い出してくださる。(17~19節)

「私は神に呼びかける」と言います。夕べも昼も、そして昼も、嘆き、呻いています。その嘆きや呻きをすべて神さまに訴えます。それは、他にはどこにも訴えられるところがないからです。
今朝の詩編は昨日読んだ詩編とは正反対のような響きを持っています。今朝の詩編はこのように言います。

私を嘲るのは敵ではない。
そうであるなら耐えられる。
尊大に振る舞うのは私を憎む者ではない。
そうであれば彼から隠れられる。
だが、それはあなたなのだ。
私と同等の立場の者、友、心を許した人。
一緒に親しく交わり
神の家を群衆と共に歩いたではないか。(13~15節)

神さま以外に、この絶望を訴えられる相手がいません。友に裏切られ、嘲られているから。心を許し、共に神を信じ、一緒に生きてきたはずの人。友であったはずの人が自分から離れ、自分を侮辱する。その痛みを何と言葉にすればいいのでしょうか。
だから、この信仰者はひたすら神に祈ります。例え誰が自分を裏切り、捨てようとも、神はそうなさらないと信じているから。神は私の祈りを聞いてくださっていると信じているから。絶えず涙が流れる私が、その涙を流すままに神に訴えている。
祈りは、そのようにして神さまの前に心を注ぎ出すことです。めちゃくちゃのぐちゃぐちゃになってしまった私を、そのままに神さまに差し出すことです。神さまは、「私の魂を平和のうちに贖いだしてくださる」。例え今それを信じられなくても、その言葉は真実です。

2024年4月26日の聖句

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