2021年2月18日木曜日

2021年2月18日(詩編56)

詩編56
あなたは私のさすらいの日々を
  数えてくださいました。
私の涙をあなたの革袋に蓄えてくださいました。
あなたの記録にはそうするように書かれていませんか。(9節)

神さまはあなたの涙をご自分の革袋に蓄えておられます。あなたの涙の一滴も忘れることなく、憶えていてくださいます。人知れず悲しむとき、他の人には理解してもらい得ない涙をも、神さまは憶えていてくださるのです。
その悲しみの日々を、この詩編では「私のさすらいの日々」と呼んでいます。この「さすいらい」という言葉には訳注が付いていて、別訳するなら「嘆き」という意味だ、と書かれています。さすらいの日々、それは嘆きの日々です。悲しみの中で一つの場所に身を定めることができず、さすらうしかないのです。私たちには仕事があるし、家庭があるし、自分が生きてきた地盤があります。そう簡単にさすらいの日々を送ることはできない。しかし、心が悲しみに打ちのめされて定まらないとき、私たちはさすらいの日々を送っている。それは孤独なことです。その涙を、神はご自分の革袋に蓄えていて、覚えておられるのです。

私があなたを呼び求める日
その時、敵は退きます。
私は、神がそばにおられることを知っています。(10節)
神に信頼し、恐れることはありません。
人間が私に何をなし得るでしょう。(12節)

神は、どのようなときにも共にいてくださいます。他人が私たちにとってどんなに脅威であったとしても、あるいは何も他人ばかりでなく病気でも、不条理な出来事でも、私たちが神を呼び求めるとき、神が私たちを守り、敵は退くことでしょう。私たちの身に降りかかる出来事を動かす力は私たちにはありませんが、私たちのために身をかがめたキリストが私と共にいて、この涙を集めに来てくださっていることを私たちは知っています。
神に信頼をし、歩む一日でありますように。心から祝福を祈っています。

2024年4月27日の聖句

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