2021年2月19日金曜日

2021年2月19日(詩編57〜58)

詩編57~58
神よ、私の心は確かです。
私の心は確かです。
私は歌い、ほめたたえよう。
目覚めよ、私の栄光よ。
目覚めよ、竪琴よ、琴よ。
私は暁を目覚めさせよう。(57:8~9)

詩編57は「私を憐れんでください」という言葉から始まっています。「私の魂はあなたのもとに逃れました」とも言います。災いの中で苦しむ人の祈りの言葉です。災い、苦しみ、嘆き、そういったものは私たちの心身を攻撃し、ときに、私たちは心が萎えてしまいます。再び立ち上がる力がなくなってしまいます。「私を踏みにじる者が嘲っています」とも言っていますが、周りの目や自分を苦しめる者の手しか見えなくなってしまいます。だからこそ、神さまのもとに逃れ、神さまの憐れみを求めているのです。
その人が言うのです。「私の心は確かです」と。そして、神を賛美する心に向かって、「目覚めよ」と呼びかけるのです。神を賛美することこそ、萎えた心と体とを目覚めさせることに他ならない。神を仰ぎ、神を賛美し、神を礼拝することこそ、私が目覚めてこのときを生きる秘訣だと言うのです。
苦しみの中でただただ理不尽さを嘆いたり、起こったり、苦しむだけで精一杯になってしまうのが私たちの現実です。しかし、そんなときこそ神さまを賛美しましょう。そこに新しい世界が広がっています。

人は言う。
「まことに正しき者には実りがある。
地には裁く神がおられる」と。(58:12)

詩編58は自分を苦しめる悪しき者へ神が報復してくださることを願い求めています。2節を見ると「神々よ、本当に義を語っているのか」と言っています。神々というのですから、この「悪しき者」というのは必ずしも誰かのどこかにいる人間ということではなく、人間の力を越えたような恐ろしき諸力のことなのかもしれません。そうであるとしても、神はどのような力よりも強い方。だからすべての悪しき者を神が裁いてくださいますように。そのように祈ります。
今日の詩編は、57も58も、どちらも神に注目しています。自分の身に降りかかる災いの現実やその理不尽さに注目するよりも、じっと神に目を向け、目をこらして、神が助けてくださることを信じ、待ち望んでいます。それが「信じる」ということだからです。

2021年2月27日(詩編68)

詩編68 神に向かって歌え。 その名をほめ歌え。 雲を駆って進む方をたたえよ。 主の名によって、その前に喜び踊れ。 みなしごの父となり やもめの裁き手となるのは 聖なる住まいにいます神。(5~6節) この詩編は、例えば「神の山、バシャンの山、峰を連ねた山、バシャンの山」といった大...