2021年3月10日水曜日

2021年3月10日(詩編79)

詩編79
わが主よ
近隣の民があなたをそしったそのそしりを
  彼らの身に七倍にして返してください。
私たちはあなたの民、あなたの牧場に羊です。
とこしえにあなたに感謝し
世々にあなたの誉れを語り伝えます。(12~13節)

この詩編はとても激しい祈りの言葉です。諸国民がエルサレムを瓦礫の山とした、と言っています。紀元前586年にエルサレムはバビロンに滅ぼされ、神殿も失われました。まさに、瓦礫の山にされた。そのときのことを言っているのでしょう。町や建物が失われただけではなく、戦争である以上当然ですが、たくさんの人の命が失われました。その悲惨な様子も書かれています。「彼らはあなたの僕らの屍を、空の鳥の餌食とし、あなたに忠実な者の肉を地の獣に与えました」(2節)。
それで、この詩編は神に問います。「主よ、いつまでなのですか。あなたは永遠にお怒りになるのでしょうか。あなたの妬みは火のように燃え続くのでしょうか」(5節)。そして、訴えます。「憤りを注いでください。あなたを知らない国々の上に、あなたの名を呼び求めない王国の上に」(6節)。もうほとんど神が神であることが分からなくなってしまうような叫びです。神さま、あなたはいつまで助けようとしてくださらないのですか、なぜ私たちを救ってくださらないのですか?いつになったら、私たちがこのように踏みにじられているのをご覧になり、私たちを助け、私たちを虐げる者たちに復讐をしてくださるのですか?
この叫びは、今の香港に生きる人々に通じるものであると思います。民主化運動に関わる者、信教の自由を求める者を中央政府が迫害し、故郷になお生き続けることが許されない状況に追い込まれた仲間もいます。神さま、いつまでなのですか?いつになったら助けてくださるのですか?

私たちはあなたの民、あなたの牧場に羊です。
とこしえにあなたに感謝し
世々にあなたの誉れを語り伝えます。

この詩編の最後の言葉は、ここだけを取り出すととても牧歌的で平和な感じがしますが、この文脈の中に出て来ることを考えると、闘いの言葉であることが分かります。闘いというのは、もう一度武器を手に取って革命を起こすような闘いではありません。もはや、復讐は神のなさることであって、私たちは神に委ねます。私たちの闘いは血肉を相手にするものではなく、神に養われる牧場の羊として生き続けることです。神に感謝を献げ、神の誉れを語り伝えることです。神を信じ、礼拝し続けること自体が、私たちの闘いなのです。

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