2021年3月13日土曜日

2021年3月13日(詩編82)

詩編82
「あなたがたはいつまで不正に裁き
悪しき者におもねるのか。
弱い人やみなしごのために裁き
苦しむ人や乏しい人を義とせよ。弱い人や貧しい人を救い
悪しき者の手から助けだせ。」
彼らは知らず、悟らず
闇の中をさまよう。
地の基はことごとく揺らいでいる。(2~5節)

最後に出て来る「地の基はことごとく揺らいでいる」という言葉ですが、当然ですが、文字通りに地面が揺らいでいるということではありません。大地の基のように誰もが確かだと思っているもの、絶対安全だと思っているもの、恐らくこの詩編では裁判に代表される社会制度だと思いますが、それすらも揺らいでしまっている、確かではない、という意味であろうと思います。なぜ揺らいでいるのか?不正が横行しているからです。裁判が悪しき者におもねったものとなり、力ある者がますます富み、弱い人や貧しい人の訴えが不当に退けられている。もうこのままでは社会が保たない。臆面もなく罪深いことが行われ、それがまかり通っている社会、弱い人や貧しい人、みなしごや寡婦といった人々が重んじられない社会の地の基が揺らいでいる、というのです。
社会の健全性はその社会のいちばん弱い人がどう扱われているかを見れば分かります。私たちの社会はその点でどうなのでしょうか。私たちがそういうことを知ろうとしないこと、悟ろうとしないこと、それ自体を神さまは問うておられます。
そのような私たちの社会の有り様を、この詩編は「神の集い」と呼びます。これは何か他の宗教の神々の集い、それこそ神無月になると八百万の神が集まって縁結びをするというような話ではない。弱い人や貧しい人を踏みつけにする私たちの社会の姿が神々の集いのようだと指摘している。私たち自身が小さな神になってはいないか、と。
この詩編はこの前の日曜日に読んだ聖書の箇所で、主イエスが引用しておられました。6節の「あなたがたは神々」という言葉を引きながら、主イエスこそ神のもとから来たまことの神の子と言われます。私たちが小さな神になってしまう過ちから解放される道はどこにあるのか。弱い人や乏しい人を重んじない身勝手な罪から私たちを救い新しくするのはこのまことの神の子であるイエス・キリストをおいて他にはいません。

2024年4月20日の聖句

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