2021年3月5日金曜日

2021年3月5日(詩編74)

詩編74
主よ、心に留めてください
敵があなたを嘲るのを
愚かな民があなたの名を侮るのを。
あなたの山鳩の命を獣に渡さないでください。
あなたの苦しむ者のたちの命を
  永遠に渡さないでください。(18~19節)
虐げられた人が再び辱められることのないように
苦しむ人、貧しい人が
  あなたの名を賛美できるようにしてください。(21節)

本当に深い嘆きの詩編です。読んでいて辛くなるような詩編です。いつ、どのような状況の中で詠まれた言葉なのか。恐らく、ユダ王国が滅亡し、バビロンに捕囚された時期の言葉であろうと思います。しかし、そのような細かな詮索はもしかしたら余計なことなのかもしれません。いつ、どこで、どのような状況で編まれた言葉であったとしても、私たちも自分自身の思いを言葉にするために、この詩編に心を合わせることができます。私たち自身の祈りの言葉として、この詩編の心に共鳴することができます。
この詩編は、今の自分の辛い現実を、神に捨てられたからだと受け止めています。だから、神のもとに立ち返り、そして神ご自身に帰ってきて頂く。そうでなければ、私は救われない。それが基本的な現実の受け止めです。
私は、これはとても大事な態度だと思います。自分の身の回りの現実を神さまとの関係で捉え直しているからです。自分がどんなに悲惨なのか、悲しいのか、辛いのか。そういうことしか目に入らなくなってしまいがちですが、この詩編は、私たちの目を神さまに向けさせます。私たちの声を祈りに向かわせます。
12節以下、海や怪獣が登場します。これは創世記第1章で「混沌」という言葉で表していたのと同じ事柄を指す、象徴的な表現です。かつてはファンタジーのような怪物がいたということではなく、私たちの世界の混乱や悲惨を象徴する言葉として読むべきです。ことに、この世界を人間の罪が支配しているかのような、まさに混沌とした様相を表す言葉です。そのような悪の諸力を、神は支配することができるお方。
だからこそ、目の前の敵のことをも神さまに祈っています。この敵から私を解放してください、救ってください、と。神の御名を賛美できるように、主よ、救ってください。「神よ、立ち帰り、ご自身のために争ってください」とまで訴えます。私たちを救うことによって、ご自分の御名の聖さをこの世界に示してください。そのような大胆な祈りさえもささげる。そのようにして、この詩編は私たちの目をまっすぐに、神へ向けさせるのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...