詩編104
主の栄光がとこしえにあるように。
主がご自分の業を喜ばれるように。(31節)
大いなる自然、そこに生きる動植物、遙かな天も大きな海も、すべてのものを見つめながら神を賛美します。これらがすべて神の御手の業によって造られたものであり、これをお造りになったかの素晴らしさ、偉大さ、大いなる御手の御業によるものであることを深く知り、神を崇めています。
神さまがお造りになった世界は、完全です。完全な神さまの配慮と善意によってこの世界は造られました。例えば、このように書いてあります。
あなたは泉を湧き上がらせて川とし
山々の間に流れさせる。
野のすべての獣はその水を飲み
野ろばも渇きを癒やす。
空の鳥は水のほとりに巣を作り
こずえの間からさえずり歌う。(10~12節)
神さまのご配慮は、この世界のすべてのものに及びます。野の獣の飲み水も、巣を作るための木も、神さまの善意の中で準備されています。さらに興味深いのは「こうして主は地からパンと、人の心を喜ばせるぶどう酒を生み出し、油で人の顔を輝かせる」と言っていることです。私たち人間が食べる物もぶどう酒も、すべては神さまの善意の中で準備されたのだ、と言うのです。
なんとすばらしい世界観!私たちの命は神さまの愛の中で支えられている。この世界は神の善を映し出すすばらしいものだという確信がここにはあります。
そうであるからこそ、私たちはこの世界を大切に守らなければなりません。この世界は一部の人のために準備されたものではありません。力ある者が自分のために収奪したり、独占したり、奪い取ったりすることは、完全な善である神さまのよしとなさらないことです。それに、将来の世代から奪い取ることも許されない。将来世代に付けを残すしかたで自然世界から搾取することは、悪です。
私たちの命は、神さまの善意によって支えられています。今日も、神さまが私たちに慈しみをもって新しい一日を与えてくださいました。主を愛し、隣人を愛する一日を送りたいと願います。
主の栄光がとこしえにあるように。
主がご自分の業を喜ばれるように。(31節)
大いなる自然、そこに生きる動植物、遙かな天も大きな海も、すべてのものを見つめながら神を賛美します。これらがすべて神の御手の業によって造られたものであり、これをお造りになったかの素晴らしさ、偉大さ、大いなる御手の御業によるものであることを深く知り、神を崇めています。
神さまがお造りになった世界は、完全です。完全な神さまの配慮と善意によってこの世界は造られました。例えば、このように書いてあります。
あなたは泉を湧き上がらせて川とし
山々の間に流れさせる。
野のすべての獣はその水を飲み
野ろばも渇きを癒やす。
空の鳥は水のほとりに巣を作り
こずえの間からさえずり歌う。(10~12節)
神さまのご配慮は、この世界のすべてのものに及びます。野の獣の飲み水も、巣を作るための木も、神さまの善意の中で準備されています。さらに興味深いのは「こうして主は地からパンと、人の心を喜ばせるぶどう酒を生み出し、油で人の顔を輝かせる」と言っていることです。私たち人間が食べる物もぶどう酒も、すべては神さまの善意の中で準備されたのだ、と言うのです。
なんとすばらしい世界観!私たちの命は神さまの愛の中で支えられている。この世界は神の善を映し出すすばらしいものだという確信がここにはあります。
そうであるからこそ、私たちはこの世界を大切に守らなければなりません。この世界は一部の人のために準備されたものではありません。力ある者が自分のために収奪したり、独占したり、奪い取ったりすることは、完全な善である神さまのよしとなさらないことです。それに、将来の世代から奪い取ることも許されない。将来世代に付けを残すしかたで自然世界から搾取することは、悪です。
私たちの命は、神さまの善意によって支えられています。今日も、神さまが私たちに慈しみをもって新しい一日を与えてくださいました。主を愛し、隣人を愛する一日を送りたいと願います。