2021年4月11日日曜日

2021年4月11日(詩編105)

詩編105
主に感謝し、その名を呼べ。
もろもろの民に主の業を知らせよ。
主に向かって歌い、主をほめ歌え。
すべての奇しき業を語れ。
主の聖なる名を誇れ。
主を求める者たちの心は喜べ。(1~3節)

主の聖なる名を誇れ、と言います。そして、この詩編は主なる神様がした「奇しき業」を思い起こします。すなわち、主がアブラハムと結んだ契約をとこしえに守り、イスラエルの人々を救ってきてくださったことを思い起こすのです。ヨセフの時代から、やがてエジプトで奴隷となった人々を救い出し、荒れ野の旅路を守ってくださったことが言及されています。神さまの救いの御業を思い起こし、それゆえに、主の聖なるお名前を誇ろうと呼びかけているのです。
新約聖書では、パウロも同じようなことを言っています。「このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りとしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとしています。苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むことを知っているからです。この希望が失望に終わることはありません。」キリストは、私がまだ罪人であったときに私のために死んでくださった。正しい人やいい人のためにキリストが死なれたのではなく、罪人である私のために。だから私には希望がある。この希望は決して失望に終わらない。私はこの希望を誇っている。それどころか苦難をも誇っている。キリストにあって、苦難は苦難のまま終わることがないから。
パウロは、今日与えられている旧約聖書の詩編と同じ信仰に立っています。神さまのしてくださったこと、奇しき神さまの御業、つまりキリストの救いの御業を思い起こすとき、それを誇らないわけにはいかなくなる。罪人を愛してくださった神の愛を、私の誇りとする。そのように言うのです。
私たちも、誇りましょう。このキリストに愛して頂いていることを。神さまが私を愛してキリストを下さったことを。誇りを持って、神を賛美しましょう!

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