詩編109
私の賛美する神よ
押し黙らないでください。
悪しき者の口が
欺きの口が私に向かって開き
偽りの舌が私に語りかけます。
憎しみの言葉が私を取り囲み
理由もなく戦いを挑んで来ます。
私の愛に反して、彼らは私を訴えます。
私は祈るばかりです。(4節)
言葉に傷つけられた人の祈りの言葉です。悪しき者の口、欺きの口、偽りの舌、憎しみの言葉。20節にも「これが、私を訴え、私の魂を悪く言う者らへの・・・」とあります。しかも、「私の愛に反して」と訴えているところを見ると、最初から仲が悪かったり憎しみあったりしている者が相変わらず私の悪口を言っているということではなさそうです。以前は良好な関係だった、あるいは少なくとも自分はよい関係を築こうと努力していたということなのでしょう。ところが今その相手は私を憎み、ひどい言葉をぶつけてくる・・・。そういうことではないでしょうか。
6節以下を見ると、かなり激しい言葉が並んでいます。「子どもらはみなしごに、妻はやもめになるがよい」とさえ言っています。他にも「金貸しが彼の持ち物一切を奪い取り、見知らぬ者がその稼ぎをかすめ取るように」とも言っています。呪っている。「これが、私を訴え、私の魂を悪く言う者らへの、主からの報いとなるように」(20節)。
私たちは、こういうことを神さまに訴えてもよいのです。正直に祈っていい。呪いの言葉、相手の不幸を願うような祈りでさえもすることが許されている。ただ、それをどう扱うかは神さまの側の問題です。呪いの祈りをすることはできても、幸いなことに私たちには人を呪い殺す力は与えられていない。祈った後は、神さまに問題を預けてしまった方が良いのです。
私たちは「わが神、主よ、私を助けてください。あなたの慈しみにふさわしく私を救ってください」と祈ります。神は必ずその祈りを聞いてくださいます。私を悪く言うその人をどうなさるかは、神さまの問題。祈る者は、その悪口からすでに解放されているのですから。
私の賛美する神よ
押し黙らないでください。
悪しき者の口が
欺きの口が私に向かって開き
偽りの舌が私に語りかけます。
憎しみの言葉が私を取り囲み
理由もなく戦いを挑んで来ます。
私の愛に反して、彼らは私を訴えます。
私は祈るばかりです。(4節)
言葉に傷つけられた人の祈りの言葉です。悪しき者の口、欺きの口、偽りの舌、憎しみの言葉。20節にも「これが、私を訴え、私の魂を悪く言う者らへの・・・」とあります。しかも、「私の愛に反して」と訴えているところを見ると、最初から仲が悪かったり憎しみあったりしている者が相変わらず私の悪口を言っているということではなさそうです。以前は良好な関係だった、あるいは少なくとも自分はよい関係を築こうと努力していたということなのでしょう。ところが今その相手は私を憎み、ひどい言葉をぶつけてくる・・・。そういうことではないでしょうか。
6節以下を見ると、かなり激しい言葉が並んでいます。「子どもらはみなしごに、妻はやもめになるがよい」とさえ言っています。他にも「金貸しが彼の持ち物一切を奪い取り、見知らぬ者がその稼ぎをかすめ取るように」とも言っています。呪っている。「これが、私を訴え、私の魂を悪く言う者らへの、主からの報いとなるように」(20節)。
私たちは、こういうことを神さまに訴えてもよいのです。正直に祈っていい。呪いの言葉、相手の不幸を願うような祈りでさえもすることが許されている。ただ、それをどう扱うかは神さまの側の問題です。呪いの祈りをすることはできても、幸いなことに私たちには人を呪い殺す力は与えられていない。祈った後は、神さまに問題を預けてしまった方が良いのです。
私たちは「わが神、主よ、私を助けてください。あなたの慈しみにふさわしく私を救ってください」と祈ります。神は必ずその祈りを聞いてくださいます。私を悪く言うその人をどうなさるかは、神さまの問題。祈る者は、その悪口からすでに解放されているのですから。