2021年4月17日土曜日

2021年4月17日(詩編111)

詩編111
ハレルヤ。
私は心を尽くして主に感謝を献げる
正しい人々の集い、会衆の中で。(1節)
主はその民を贖い
契約をとこしえに定めた。
その名は聖であり、畏るべきもの。(9節)

旧約聖書はほとんどがヘブル語、新約聖書はギリシア語で書かれています。聖書は世界中の言葉に翻訳されています。翻訳というのはもとの言語を別の言語の意味に移す作業ですが、いくつかの言葉は意味を明らかにさせることよりももとの言葉の音をそのまま残しています。例えば「アーメン」。アーメンというのは「本当に」とか「真実に」という意味ですが、意味ではなく音を残している。そして、今日出てきた「ハレルヤ」もそういう言葉の一つです。
「ハレルヤ」という言葉は、「ハレル」と「ヤ」に分けることができる。ハレルというのは、「あなたたちは賛美せよ」という意味で、「ヤ」は主なる神様のお名前を現す言葉です。ハレルヤ、それは「あなたたちは主を賛美せよ」という意味です。
「ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝を献げる。正しい人々の集い、会衆の中で。」この言葉を読むと、神さまを賛美するという礼拝の営みが個人的なこと、独りぼっちで完結することではないということが分かります。私たちは互いに「さあ、主を賛美しよう!あなたたちも、共に」と呼びかけ合いながら礼拝をするのです。
私たちは神さまの御前にあって、一つの民になります。私たちは神に贖われて神のものとなった神の民です。共に神を礼拝します。神さまは、そんなそんな私たちと契約を結んでくださいました。契約は、信頼と約束に基づく関係です。神さまは私たちが立派だからとか、見栄えがするからということではなく、私たちが誰よりも弱く、小さいからこそ私たちを選び、ご自分との信頼関係の当事者にしてくださいました。私たちは神さまの聖なるお名前を賛美し、崇め、礼拝するために、一つに呼び集められているのです。

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