2021年5月11日火曜日

2021年5月11日(詩編119:129〜136)

詩編119:129~136(ペー)
あなたの言葉が開かれると光が射し
無知な者にも悟りを与えます。
あなたの戒めを慕い求めて
私は口を開け、あえぎました。
私の方を向き、憐れんでください。
御名を愛する者への裁きに従って。(130~131節)

この詩編には、主と主の御言葉への愛が溢れています。「私の方を向き、憐れんでください」と言っていますが、そもそも顔を向けてもらうことが救いになるというのは、相手との愛の関係が成り立っているときだけです。愛し、信頼している相手の顔は自分の喜びですし、救いになります。まさに、神さまに向かってそういう愛の関わりに生きているし、生きたいと願っている祈りの言葉であると思います。
だから、この詩編の最後のところではこのように言っています。
私の目から涙が川のように流れます。
彼らがあなたの律法を守らないからです。(136節)
神さまの律法を守らない人、神さまの御言葉に従おうとしない人を見て、涙を川のように流している、と言っている。ファリサイ派の過ちは、そのような人を見たら憎んだり、見下したりしていたことであるのだろうと思います。いや、それは一部のファリサイ派という特殊な人の曲がった根性ではなくて、誰の心にも巣くっている"ファリサイ根性"のようなものであるのかも知れません。この詩編では、そういう人を裁くのでも罵るのでもなく、悲しんでいます。涙を流して悲しんでいる。それは主の言葉を愛するからこそですし、また、人を愛しているからでもあると思います。愛しているからこそ、主の言葉を蔑ろにして主から遠く離れていくことが悲しくてならないのです。
私たちは、神さまに祈るだけです。あなたの言葉とあなた様ご自身への愛を、増し加えてください。私にも、あの人にも主の憐れみを求めて祈るのみです。「あなたの言葉が開かれると光が射し、無知な者にも悟りを与えます。」主の御言葉が光りとなって私を照らしてくださる。私の隣人をも照らしてくださる。福音の光の中に、私を生かしてくださる。そのことを信じ、御言葉の光を求めて私たちは今日という一日へ出発していきます。

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