2021年5月13日木曜日

2021年5月13日(詩編119:145〜152)

詩編119:145~152
夜明け前に起き、助けを求めて叫び
あなたの言葉を待ち望みます。
私は夜回りより前に目覚め
あなたの仰せを思い巡らします。
あなたの慈しみにふさわしく
  私の声を聞いてください。
主よ、あなたの裁きに従って私を生かしてください。(147~149節)

眠られぬ夜、あるいはウトウトしてもすぐに起きてしまい、まんじりともせずに夜を明かすとき、皆さんはどのようにされているでしょうか。眠れないというのは辛いものです。次の日一日を思えば、こんなに眠れなくて一日もつのかと心配になります。心配事があれば、そればっかり考えてしまいます。寝ようと思えば思うほど焦ってしまいます。
そのようなとき、この詩編は他の何よりも「あなたの言葉」、神さまの御言葉、聖書の言葉を待ち望んでいます。神さまの仰せを思い巡らしています。そして、求めるのです。「あなたの慈しみにふさわしく私の声を聞いてください」と。神さまの慈しみにふさわしく、神さまの愛にふさわしく、どうか私の声を聞いてください。私の祈りを聞いてください。「あなたの慈しみにふさわしく」というのは、神さまが神さまらしく振る舞ってください、ということでしょう。神さまの慈しみこそが私の救いです、という愛の告白なのではないでしょうか。
さらに、こう祈ります。「主よ、あなたの裁きに従って私を生かしてください」と。裁きというと、普通はそれによって自分が滅んでしまうようなイメージがあります。しかし、この詩編では神の裁きこそが私の救いだと言います。ほかの誰が私を裁こうとも、それぞれの基準で自分にどんな罪を着せようとも、神さまの御前に生きる私をどうか救ってください。そのように祈ります。
夜陰の中、私たちはただひたすらに神さまとその御言葉を求めます。ここに私の救いがかかっているから。ここに表された神の慈しみが私の救いだから。今や、まだ明けぬ夜に起きるのは、それだけ必死に神の慈しみを待ち望んでいるからです。私たちの起きているときにも眠っているときにも、神さまの慈しみに満ちた御言葉が私たちを生かしているのです。

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