2021年5月23日日曜日

2021年5月23日(詩編126)

詩編126
涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行く人も
穂の束を背負い、喜びの歌と共に帰ってくる。(5~6節)

この詩編は、恐らく、捕囚解放後のどこかの時代に生み出されたのではないかと思います。1節に「主がシオンの繁栄を再びもたらされたとき、私たちは夢を見ている人のようになった」とあります。シオンの繁栄を再びもたらされたといのは、ペルシアの治世にユダヤの人々が捕囚から解放され、少しずつエルサレムに帰還して神殿を再建し始めていた時代を思わせます。神の救いの出来事を目の当たりにして、夢を見ている人のようになった、と言っているのだと思います。それほど途方もない、人間としては想像もつかないようなすばらしい救いが現実のものとなった、と言っているのです。
バビロンに破れ、捕囚となり、遠い異国に強制的に移住させられたこと、そこでの生活が何十年も続き、世代がまるごと入れ替わってしまうほどの時間を外国で過ごさねばならなかったこと、やがて帰還してもすでに別の人が住みついていたこと、苦労して神殿を再建したこと、それらすべてが「涙の出来事」だったのではないかと思います。不条理に悲しみつつ、自分たちをこのような不幸に追い込んだ自身の罪を悲しむ、涙の出来事だったのではないでしょうか。
ところが、涙と共に種を蒔くとき、その種はやがて喜びの実りを結ぶと言います。泣きながら種袋を背負うならば、喜びの刈り入れをすることになる、と言います。
もしかしたら私たちにとっても今は涙の時であるのかも知れません。しかし、種を蒔き続けましょう。福音の種を。キリストにある望みを証しし続けましょう。必ず、涙と共に蒔いた種は喜びの実りを結びます。泣きながら担いだ種袋は、やがて必ず喜びの穂の束に変わるのです。神さまを信じるというのは、自分の目には閉ざされているときにも、喜びを結ぶ神の御業は進んでいると信じることです。今日も、喜びを結ぶために、神さまの御業は進んでいます。だから、私たちは種を蒔き続けます。涙と共に。神を信じ、キリストに期待して、種を蒔き続けます。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...