2021年5月22日土曜日

2021年5月22日(詩編125)

詩編125
主に信頼する人はシオンの山のように
  揺らぐことなく、とこしえにとどまる。
エルサレムを山々が囲み
主はその民を囲んでおられる。
今より、とこしえに。(1~2節)

私はエルサレムに行ったことがないので想像するしかありませんが・・・エルサレムを山々が囲んでいるように、主はその民を、私たちを囲んでおられる。都に向かう旅をしながら、もしかしたらエルサレムの手前まで来て山を実際に登りながら口ずさんだのかも知れません。この山々がエルサレムを囲んでいるように、主は私たちを囲んでいてくださる!
教会の二階の後ろにある窓から、やはり山が見えます。特に夕方はとてもきれいな夕焼けで彩られます。あの山々がそこから動くことなく、揺らぐこともないように、主を信頼する人も揺らぐことがない!
しかし実際のところ、山々が動くことはあります。それどころか陸地が動いてしまうことだって起こる。それは人間の尺度ではなく、何億年という地球規模の尺度で見てみないと分かりません。私たちの目には山々も大地も、いつだって変わることのない不変なものの象徴のようなところがある。しかし、変わらないと思っていたものもいくらでも変わる。揺るがないと思っていたものも揺らぐことがあるのです。
私がそのことを痛感させられたのは、やはり、10年前の原発事故の時でした。特に何の疑問もなく「安全」だと思い込んでいました。いや、安全かどうか何か問題があるのかないのか、そんなことなんて考えたこともありませんでした。ところが原子力発電から出て来るゴミは人間の手には負えないような、天文学的な期間の保管が必要だと言います。その間、1000年に一度の大災害は何度起こるのでしょうか?
絶対だとか、変わらないとか、そういうことを言いうるのは神さまだけです。礼拝のためにエルサレムの山を登りながら変わることのない主を信頼すると告白した旧約の民の知恵に、謙虚になって学びたいと思います。私たちはへりくだって主を信頼するときに初めて揺らぐことがなくなるのです。「主よ、よい人々、心のまっすぐな人々に、幸いをもたらしてください。」私は心のまっすぐな人間になりたいと願います。まっすぐに主を信頼し、主の前に己の分を知り、誠実に生きたいと願います。

2025年1月15日の聖句

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