2021年5月24日月曜日

2021年5月24日(詩編127)

詩編127
もし、主が家を建てるのでなければ
  それを建てる人々は空しく労苦することになる。
もし、主が町を守るのでなければ
  守る人は空しく見張ることになる。
空しことだ
朝早く起き、夜遅く休み
  苦労してパンを食べる人々よ。
主は愛する者には眠りをお与えになるのだから。(1~2節)

ヘブライ人の時間感覚では、一日の始まりは日没の時なのだそうです。日が落ちると新しい一日が始まる。現代社会では夜でも煌々と明かりがついていますが、それはつい最近のことであって、人類はほとんどの時間日没後は真っ暗な世界に生きていました。灯は庶民にはそうそう気軽にともせるものでなかったと思います。そうすると当然、夜になったら寝るしかありません。従って、一日が始まって最初にするのは睡眠なのです。とっても興味深い時間感覚だと思います。そして、この事実は私たちにとても大切なことを語りかけていると思います。
思えば、私たちも日曜日から一週間が始まります。今は社会が複雑になったので日曜日だからといって休みとは限りません。しかし最初のスタートの精神は、やはり、休むことから一週間が始まるということであったのではないかと思います。
人事を尽くして天命を待つという言葉があります。人としてできるだけのことをして、後は天命を待つ。確かに自分としてできることを精一杯するというのは大切でしょう。しかし、聖書の知恵は、まず休むことから始まる。それは怠けながら棚からぼた餅が落ちてくるのを待つということではありません。神が働いていてくださることへの信頼を表明しています。神ご自身が働いてくださるのでなければ、家を建てる労苦も町を守ることも空しい。神の働きの余地を、私たちは奪ってはいないでしょうか?
寝るための夜の時間は、神が造ってくださったものです。私たちが寝ているときにも神さまは寝ずの番をしてくださっています。神さまが、今日も働いてくださっている。その事実への信頼が、私たちをのびのびとした命に生かすのです。

2024年4月27日の聖句

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