詩編130
主よ、深い淵の底からあなたに叫びます。
わが主よ、私の声を聞いてください。
嘆き祈る声に耳を傾けてください。(1~2節)
私はこの詩編が好きです。この詩編は、深い淵の底からの祈りです。7節を見ると、明るい言葉が語られています。
イスラエルよ、主を待ち望め。
主のもとに慈しみがあり
そのもとに豊かな贖いがある。
主なる神様への確かな信頼と、主の慈しみへの確信に溢れた言葉です。一見するとこの詩編の冒頭の「深い淵の底」にそぐわないように感じます。私は最初、最初は1節が言っているとおりに深い淵の底におり、ある時間が経過して神さまの救いを経験し、淵の底から脱出し、最後に至って「主のもとに慈しみがあり」と言って神を賛美するに至ったのではないか、と思いました。
しかし、今ではそれは違うのではないかと考えています。この詩編は、最初から最後に至るまで、深い淵の底にいる者の祈りなのではないでしょうか。深い淵の底にいるときだって、私たちは神を信頼し、その慈しみを確信して、賛美することができるのです。「イスラエルよ、主を待ち望め」と。この賛美は、「わが主よ、私の声を聞いてください。嘆き祈る声に耳を傾けてください」という祈りと矛盾しません。
深い淵の底で、私たちは嘆きます。神さまを呼び求めます。そして、主を待ち望みます。
私は主を望みます。
私の魂は望みます。
主お言葉を待ち望みます。
私の魂はわが主を待ち望みます
夜回りが朝を、夜回りが朝を待つにもまして。(5~6節)
主なる神様、この方こそ私たちを救ってくださる方。だから、私たちは深い淵のそこにいて主を待ち望み、主に向かって祈り、叫び、そして主を賛美します。必ずこの方が救ってくださる。必ずこの方が慈しみを与えてくださる。必ずこの方が私を贖ってくださる。そのことを信じ、私たちは主を待ち望むのです。
主よ、深い淵の底からあなたに叫びます。
わが主よ、私の声を聞いてください。
嘆き祈る声に耳を傾けてください。(1~2節)
私はこの詩編が好きです。この詩編は、深い淵の底からの祈りです。7節を見ると、明るい言葉が語られています。
イスラエルよ、主を待ち望め。
主のもとに慈しみがあり
そのもとに豊かな贖いがある。
主なる神様への確かな信頼と、主の慈しみへの確信に溢れた言葉です。一見するとこの詩編の冒頭の「深い淵の底」にそぐわないように感じます。私は最初、最初は1節が言っているとおりに深い淵の底におり、ある時間が経過して神さまの救いを経験し、淵の底から脱出し、最後に至って「主のもとに慈しみがあり」と言って神を賛美するに至ったのではないか、と思いました。
しかし、今ではそれは違うのではないかと考えています。この詩編は、最初から最後に至るまで、深い淵の底にいる者の祈りなのではないでしょうか。深い淵の底にいるときだって、私たちは神を信頼し、その慈しみを確信して、賛美することができるのです。「イスラエルよ、主を待ち望め」と。この賛美は、「わが主よ、私の声を聞いてください。嘆き祈る声に耳を傾けてください」という祈りと矛盾しません。
深い淵の底で、私たちは嘆きます。神さまを呼び求めます。そして、主を待ち望みます。
私は主を望みます。
私の魂は望みます。
主お言葉を待ち望みます。
私の魂はわが主を待ち望みます
夜回りが朝を、夜回りが朝を待つにもまして。(5~6節)
主なる神様、この方こそ私たちを救ってくださる方。だから、私たちは深い淵のそこにいて主を待ち望み、主に向かって祈り、叫び、そして主を賛美します。必ずこの方が救ってくださる。必ずこの方が慈しみを与えてくださる。必ずこの方が私を贖ってくださる。そのことを信じ、私たちは主を待ち望むのです。