2021年6月5日土曜日

2021年6月5日(詩編139)

詩編139
神よ、私を調べ、私の心を知ってください。
私を試し、悩みを知ってください。
御覧ください
  私の内に偶像礼拝の道があるかどうかを。
とこしえの道に私を導いてください。(23~24節)

この詩編は、主なる神様が私のすべてを知っておられることへの絶対的な信頼と、それゆえの圧倒的な安心感を歌いきったものです。私のすべてを知っておられる神さま。この方は、母の胎にいる私を知っておられた。それどころか、母の胎内に私をくみ上げたのは、このお方に他ならない。今では医療技術が飛躍的に発展しましたから、まだ母の胎にいる子どもの映像を見ることができます。技術の発展はいろいろなことを可能にしました。しかし、人間に命を造ることができると考えるとしたら、それは傲慢です。ですから「子どもを作る」という言葉は間違っています。それは神さまの領域であって、人間が自分の力でどうこうできるという考えそのものが間違っている。
命が生まれる先の話だけではありません。命の終わりについても、人間は無知ですし、無力です。ところが神さまは、私たちの命の終わりについてもすべてを知っておられます。「陰府に身を横たえようともあなたはそこにおられます」。私たちは生きているときにも死ぬときにも、神さまの手の中にいるし、私たちは神さまのものです。
12節の言葉がとても印象的です。
闇もあなたには闇とならず
夜も昼のように光り輝く。
闇も光も変わるところがない。(12節)
私たちが闇だと思っているところ、夜も死も、あるいは他の絶望も、いかなるものも神さまに比べれば闇とは言えない。どんなに深い闇であっても、神さまがお造りになったものです。闇を造った方は闇よりももっと濃い闇でもある。しかしその方が光をお造りになった。神さまの前では、夜も昼のように光を放っている。光も闇も神さまの手の中にあるからです。
私たちの心は揺れ動きます。ときに偶像礼拝の道に傾いてしまいます。偶像礼拝とは、目に見えるものや自分の考えを神さまに押しつけ、神さまが自分の期待する振る舞いをしてくれるはずだと決めつけることです。不安や悩みはしばしば偶像礼拝を生み出す。しかし、悩みの日に思い起こしましょう。神さまは私のすべてを知っておられ、昼も夜もお造りになった方だ、と。私のすべてを知っておられる方が、私の生きているときも死ぬときにも、慈しみに道が手を私から話すことは決してなさらない。そのことを信じて、神さまの御前に、今日も歩んでいきましょう。

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