2021年6月8日火曜日

2021年6月8日(詩編142)

詩編142
声を張り上げ、主に向かって叫び
声をかぎりに、主に向かって恵みを求めよう。
御前に嘆きを注ぎ出し
御前に苦しみを告げよう。(2~3節)

1節を見ると、この詩編は「ダビデが洞穴にいたとき」の祈りだ、と書かれています。ダビデが洞穴にいたときというのは、サムエル記上第24章に書かれている出来事です。当時のサウル王は若くて人望のあるダビデを恐れ、遂には迫害し、命を狙いました。王の追っ手から逃れたダビデは洞穴に隠れた。その時のことです。
自分を付け狙う者から逃げて、ダビデは祈ります。「声を張り上げ、主に向かって叫び、声をかぎりに、主に向かって恵みを求めよう」と。神さまの御前に嘆きも苦しみも注ぎだして、神さまに自分の素直な気持ちを祈ります、と言うのです。ダビデは自分をしつこく狙って危害を加えようとするサウル王に心を向けるのではなく、神さまに祈ることに自分のすべてを傾けました。「私の霊が萎え果てるときも、あなたは私の小道を知っておられる」。この道に敵が罠を仕掛けようとも、神さまがどうか私を救ってください・・・。
洞窟で祈るダビデに絶好の機会が訪れます。ダビデが奥にいるその洞窟になんと当のサウルが入ってきて、用便を始めたのです。サウルを討つなら絶好の機会、文字通りに千載一遇です。ところがダビデは主なる神様ご自身が王として立てたサウルを殺すことを良しとせず、サウルが洞窟から出たところで後ろから声を掛け、結果的にこのときはサウルと和解することになりました。
主に向かって叫び、自分の苦難を訴え、助けを求めた者の姿がここにあります。祈りを通して、ダビデの敵との向き合い方が新たにされたのです。私たちが主に向かって救いを求めるとき、私たちは変わることになります。神さまの聖なるお取り扱いを受け、私たちは新しくして頂くのです。これが私たちも招かれている聖なる体験です。

2024年4月24日の聖句

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