2021年6月9日水曜日

2021年6月9日(詩編143)

詩編143
私は過ぎ去った日々を思い起こし
あなたの行ったことを一つ一つ思い返し
御手の業に思いを巡らします。
あなたに向かって両手を広げます。
私の魂は荒れ果てた大地のように
  あなたを慕います。(5~6節)

朝に、あなたの慈しみを聞かせてください。
私はあなたに信頼しています。
歩むべき道を知らせてください。
私はあなたに向かって魂を高く上げます。(8節)

この詩編は敵が追い迫り、自分の命が地に踏みにじられ、霊は萎え果て、心がおののく人の祈りの言葉です。苦しみ、嘆きながら、神さまを呼び求めています。神さまに救いを求めて叫んでいます。
「私は過ぎ去った日々を思い起こし」ます、と言います。ただ昔を懐かしむというのではありません。神さまの御業を思い起こすのです。何のために思い出すのか。昔はよかったけど今は違うと言って絶望するのではありません。そこに現れた神の慈しみを確認し、神さまをなおのこと慕い求めるのです。神さまに救いを求めて、祈るのです。そういう切実な祈りの言葉が、この詩編です。
「朝に、あなたの慈しみを聞かせてください」という言葉が私は好きです。きっと、この詩編は夜の祈りなのでしょう。眠ることのできない思いで一日を振り返り、顔を思い出したくもない相手のことで頭がいっぱいになってしまう。そんな心を神さまの恵みと慈しみに向けるのです。そして床に就き、朝を迎えたときにはあなたの慈しみを聞かせてください、と祈ります。祈りながら寝ます。「私はあなたに信頼しています。」なぜなら、神さまの慈しみはどんなときにも絶対だからです。私が悲しんでいるとき、神さまのことを忘れてしまっているときでさえ、神さまの慈しみに変わるところは一切ない。そのことを信頼し、床に就くのです。
今日、私たちを夜を迎えたとき、同じように祈って床に就きましょう。主が、今日もあなたと共にいてくださいますように。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...