2021年7月16日金曜日

2021年7月16日(箴言27)

箴言27
明日のことを誇ってはならない。
一日のうちに何が起こるか知らないのだから。(1節)

明日がどうなるのかは、私たちのあずかり知るところではありません。日本語とヘブライ語とはずいぶんと違うところも多いですが、意外なところで似ている部分もあります。日本語で、過去のことを「以前」と言います。前という字がついている。逆に先のことは「以後」と言って、後という字があります。ヘブライ語でも前という意味合いのある単語で過去を表し、後ろという意味合いのある言葉で将来を表します。とてもおもしろい表現だと思います。私たちの前にあるのは将来ではなく、過去です。逆に将来は私たちの後ろにある。私たちは後ろ向きに歩いているようなもので、よく見えるのは前のこと、つまり過去のことです。将来は背中の後ろにあるので、私たちには直接見ることができません。明日がどうなるのかは、私たちのあずかり知るところではないのです。
ところが、私たちは明日のことを漠然と予測できる気になってしまいます。そうでないと生活が安定しないという部分もありますが、本当は、自分の命さえ明日はどうなるか分からないのです。「明日のことを誇ってはならない。一日の内に何が起こるか知らないのだから。」
主イエスは言われます。「今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうかとあくせくするな。また、思い悩むな」(ルカ12:28~29)。私たちには明日のことは分かりません。しかし、私たちのために明日を気にかけてくださる方がおられます。明日のことは私たちの後ろにあるので、私たちには見えません。しかし、明日を創造なさる方が私たちを憶えていてくださいます。一本の草でさえ美しく装ってくださる方。「まして、あながたにはなおさらのことである。」
私たちは一日の内に何が起こるかを知りませんが、明日のことは神さまにお任せしましょう。今日、私たちは今日一日の分に応じて生き、そして私たちを生かしてくださる神さまを賛美する一日でありたい。そう願います。

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