2021年7月17日土曜日

2021年7月17日(箴言28)

箴言28
耳を背けて教えを聞こうとしない者は
その祈りさえもいとわれる。(9節)

私はこの言葉を読んで、ヨハネが伝える主イエスのお姿を思い出しました。第8章にある姦淫の女の話です。主イエスのところに律法学者やファリサイ派の人たちが一人の女を連れて来ました。彼女を姦淫の現場で捕まえた、と言っています。そして主イエスに詰め寄るのです。「先生、この女は姦淫をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスはそれに答えず、かがみ込んで指で地面に何かを書いておられた、と福音書は伝えています。どうして、イエスさまは彼らに答えようとしなかったのでしょうか。
この話だけに限らず、私たちが何かを祈ったり訴えたえたりしたらすぐに答えてくれて当然だと思ってしまいます。しかし、それはとんでもない甘えなのかも知れません。ここでの主イエスは、明らかに、ファリサイ派の人たちの問いに答えることを拒んでいます。彼らの顔を見ることを拒絶しているのだと思います。それは、彼らがよこしまな思いでこの女を連れて来たと主イエスが見抜いておられたからです。

耳を傾けて教えを聞こうとしないものは
その祈りさえもいとわれる。

私たちは、耳を傾けてキリストの教えを聞こうとしているのでしょうか。一見すると、彼らは「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています」と言っているので、聖書の教えに聞こうとしているようにも思えます。一見するとただしそう、もっともらしそうなことを言っている。しかしその心は神さまの御心から遠く離れていました。そういうところで唱える口先の祈りを、神さまはいとわれると聖書は言うのです。
あの姦淫の女を巡って、主イエスはただ一言、「あなたがたの中で罪を犯したことのないものが、まず、この女に石を投げなさい」とだけ言われました。私たちは今、この言葉の前にもう一度真剣に身を置かなければならないのではないでしょうか。

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