2021年7月18日日曜日

2021年7月18日(箴言29)

箴言29
人間を恐れると、それは罠となる。
主を信頼する人は高い所で安らかである。
支配者の顔色をうかがう者は多いが
人の裁きは主から来る。(25~26節)

イスラエルの最初の王はサウル、第二代目の王はダビデといいます。この二人は対照的な人物です。サウルは身長も高く見目麗しい人でしたが、とにかく人目を気にする人物でした。民衆が自分を支持しているか否かを常に気にして、人気を得るために何をしたら良いのかをいつも考えていました。典型的なのはペリシテという隣国との戦争中の出来事です。戦況は不利で兵士たちの士気が落ちていました。祭司サムエルが来て祈ってくれると約束してくれていたので、サウルはサムエルが味方を勇気づけてくれるのを待っていました。ところがサムエルはなかなかやってこない。兵士たちの心が離れていくことに我慢できなくなったサウルは、サムエルを待たずに勝手に自分で礼拝を初め、祭司しか献げることが許されていなかった焼き尽くすささげ物を献げました。その後すぐにサムエルが到着し、事の次第を知ったサムエルに「あなたは愚かなことをした」と言われてしまいます。結局サウルにとっての礼拝は、味方の士気を鼓舞してくれるための儀式、あるいは必勝祈願のまじないに過ぎなかったのです。それはサウルが徹底して人目を基準にしていたからです。
次の王になったダビデはそれとは対照的に、神さまを畏れる人物でした。ダビデが王になった後、彼は誘惑に負けて罪を犯してしまいます。ウリヤという自分の部下の妻バト・シェバと関係を持ってしまった。さらにそれだけではなく、ウリヤを戦場でわざと死なせた。ダビデは姦淫に、さらに殺人を犯しました。ダビデのところに預言者ナタンが来て、ダビデの罪を厳しく指摘します。その時の彼の悔い改めの言葉が、詩編第51編に収められています。ダビデは犯した罪を神さまの前で悔い、嘆いて、お詫びしました。取り返しのつかない失敗も犯しましたが、それと同時に神さまにお詫びする人でもありました。
私たちは誰を畏れるのでしょうか。そして、誰の顔を見て、誰の目を意識して生きるのでしょうか。人間を恐れると、それは罠になると箴言は言います。主を信頼して生きよう、と私たちに呼びかけています。主を信頼し、主の御前に、今日生きていきましょう。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...