2021年7月26日月曜日

2021年7月26日(コヘレトの言葉3:1~11)

コヘレトの言葉3:1~11
私は、神が人の子らに苦労させるよう与えた務めを見た。神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた。だが、神の行った業を人は始めから終わりまで見極めることはできない。(10~11節)

コヘレトの言葉の中でもいちばん有名な箇所かも知れません。天の下で起こるすべてのことに時期があり、すべての出来事には時があると言います。最初に言及されるのは最も根本的な時、すなわち生まれる時と死ぬ時です。さらに、植える時と抜く時と続きます。植えるというのは畑に植える農作業でしょうが、そうだとしたら対になるのは収穫の時であるはずですが、ここでは「抜くに時がある」と言われています。恐らくこの「抜く」というのは収穫のことではなく、戦争によって畑が踏みにじられ、荒廃してしまう時のことであろうと思います。次の殺す時と癒やす時や壊す時と建てる時も恐らく戦争のことを言っているのでしょう。
泣く時と笑う時、嘆く時と踊る時は日常生活の中での喜びや悲しみを感じさせます。
次の石を投げる時と石を集める時というのは不思議な表現ですが、当時は投石で戦っていたことを考えると、やはりこれも戦争が前提になっていると思われます。抱く時は、父が子どもを抱くときでしょうか。そうするとほどく時は父とこの別れを思わせ、戦争に行った父が生きて変えることができないということを考えていると見ることができます。
求める時、失う時、保つ時、失う時は、これまでの1~2章を彷彿とさせます。何を求めても空であり、つかの間に過ぎず満たされないというコヘレトの基本的なスタンスです。
愛する時と憎む時は、私たちの人間関係の基本的な関わり方です。しかしここまでもずっと戦争を前提にしたような言葉が多かったことを考えると、次の戦いの時、平和の時と合わせて考えるべきかも知れません。私たちは不条理な出来事によって翻弄されます。
ここまでさまざまな私たちの生きる時について語られてきました。これらの時はすべて神さまの手の中にあるというのが、コヘレトの人生観です。なぜなら、私たちの苦労はすべて神から与えられたものだからです。私たちは時に対して無知であり、いつ何が起こるか分からないし、それを支配することもできません。しかし「神はすべてを時に適って麗しく造り」ました。人はそれを思うことはできても、極めることはできません。神は「永遠を人の心に与えた。だが、神の行った業を人は初めから見極めることはできない」。そこで、私たちは神の御業の時に適った麗しさに信頼し、時については神さまの手に委ねます。神の御業の麗しさが私をも麗しい者にしてくださると信じるからです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...