2021年7月25日日曜日

2021年7月25日(コヘレトの言葉2:22〜26)

コヘレトの言葉2:22~26
食べて飲み、労苦の内に幸せを見いだす。
これ以外に人の幸せはない。
それもまた、神の手から与えられるものと分かった。(24節)

ここまでコヘレトは、最高の知恵を持ち、誰よりも豊かさを享受した人間として、しかしその楽しみや喜びも空、つかの間のことに過ぎないと言っていました。さらに、将来の世代への不信を語りながら、結局知者も愚者も同じように死に、忘れ去られる、これもまた空、つかの間のことに過ぎないと言っていました。
今日のところではこのように言います。「太陽の下でなされるすべての労苦と心労が、その人にとって何になるというのか。彼の一生は痛み、その務めは悩みである。夜も心は安まることがない。これもまた空である。」
このような言葉を読むと、結局は厭世的で生きる気力が失われた言葉にしか聞こえなくなってしまいます。ところが今日のところではここまで読んできたコヘレトの言葉からしたら少し意外な言葉が登場します。

「食べて飲み、労苦の内に幸せを見いだす。
これ以外に人の幸せはない。
それもまた、神の手から与えられるものと分かった。」

コヘレトは私たちの人生がつかの間のことに過ぎず、豊かさも名誉もやがて無くなってしまものに過ぎないとよく知っていました。そういうつかの間の命を生きる私たちの幸せは、食べて飲むことだと言うのです。それは単に刹那的に楽しむというのではなく「神の手から与えられるもの」として、今日この日を感謝して頂くというあり方だと言うのです。
主イエスは私たちに烏を見せておっしゃいます。「烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。まして、あなたがたは、烏よりもどれほど優れた者であることか。」「だから、何を食べようか、何を飲もうかとあくせくするな。また、思い悩むな。」「あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられる。」(ルカ12:22~34)
自分の知恵の限界、富の儚さ、命の限りを知り、神がこのように小さな私を気に掛けていてくださることを知る人は、幸いです。キリストにあって、私たちはこの小さな命を肯定し、心から喜ぶことができるのです。

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