2021年7月8日木曜日

2021年7月8日(箴言19)

箴言19
貧しくても誠実に歩むことは
曲がったことを語る愚か者にまさる。
知識のない魂は困ったもの
足を急がせると罪を犯す。
無知であると、人間は自分の道を誤り
しかも主に対して心をいらだたせる。
財産は友の数を増し
貧しい人は友から引き離される。(1~4節)

上に掲げられた1から4節の御言葉は、単なる単発の格言ではなくこの箴言の文脈に置かれたことによって新しい命を吹き込まれた言葉であると思います。特に最後の二行、4節のところです。「財産は友の数を増し、貧しい人は友から引き離される。」これだけが単独で登場したのとこの文脈に置かれているのとでは、まったく意味が異なってくると思います。
というのは1節があるからです。「貧しくても誠実に歩むことは、曲がったことを語る愚か者にまさる」と言っています。例え貧しくとも誠実であるならば、と言って貧しさを直接的に本人の悪さに結びつけることを拒否しています。因果を短絡的に結びつける発想法では、豊かであることや人からうらやまれる成功を手にした人を、神さまの祝福を頂いた人と言います。神さまが守ってくださって、祝福してくださって、このような幸せを頂いた。確かに頂いたものを神さまに感謝するのはすばらしいことですが、この世的な価値のあるものにだけ神さまの祝福を感じるのだとしたら、何かが歪んでいるようにも思います。

1節と4節の間にある2,3節では、知識を持つことの大切さについて説いています。無知では道を誤り、神さまの前に罪を犯してしまう、と言っています。ここでの「知識」は、箴言の文脈から考えれば主を畏れる知恵から始まる知識に他ならないと思います。そうだとすると、2,3節で大切にされている知識と1節の「誠実」とは相通ずるものであるはずです。貧しくても誠実であるならば、それは幸いなこと。貧しいがゆえに友から引き離されることもあるでしょうが、しかし神を畏れる知恵に基づいて誠実に生きる者を、神は覚え、その人の友になってくださいます。私たちはこの世が常識とする知識や価値観に従って生きるのか、それとも神さまの前にある知識や知恵に従って生きるのか、問われているのです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...