2021年7月7日水曜日

2021年7月7日(箴言18)

箴言18
主の名は堅固なやぐら。
正しき者はそこに走り寄り、高く上げられる。
富める者は財産を
砦の町、高くそびえる城壁と考える。(10~11節)
友の振りをする者もあり
兄弟よりも親愛の情を抱く人もいる。(24節)

これらの言葉は私たちが何に頼って生きていくのかということについての知恵を語っているように思います。
「富める者は財産を
砦の町、高くそびえる城壁と考える。」
特に大金持ちでなくても、この世の認める価値では当然のこととして財産こそが砦の町、高くそびえる城壁のように自分を守ってくれると考えられています。もちろん、財産がまったくなくてはほとんどの人は生きていかれません。ただ、私たちと同じ信仰に生きるキリスト者の中でも、例えばローマ・カトリック教会の修道士や修道女たちは私有財産を一切持っていません。例えば下着一枚をとってみても、それは自分の物ではなく修道会共有の持ち物なので、みんなで使い、洗濯し、皆の棚に入っているものを順番に使うのだそうです。彼らの存在は、私にとっては大きな問いかけになっています。話は私たちを守る堅固なやぐらは一体何か、という問いです。それは主の名だと箴言は私たちに教えているのです。
そして24節を見ると、人間関係の話をしています。友の振りをする者がいる。しかし、兄弟よりももっと多くの親愛を示してくれる人もいる。そういう人の存在の尊さやありがたさを語る言葉なのであろうと思います。
私たちにとって本当に頼りになるのは、財産ではなく神さまです。財産はいつか消えてしまうし、死んだら持っていくこともできません。しかし神さまはどのようなときにも変わらない。だからこそ、共に生きる者たちと神さまの前に出ること、神さまに頼って生きることを大切にしたいと願います。共に生きる人々も、神さまが与えてくださった賜物です。神さまが与えてくださった仲間の大切さ、ありがたさを私たちに気付かせる御言葉であると思います。

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