2021年8月17日火曜日

2021年8月17日(雅歌4)

雅歌4
私の妹、花嫁は閉じられた園。
閉じられた池、封じられた泉。(12節)

この章では、男性が婚約者を「私の妹、花嫁」と何度か呼んでいます。これは実際の妹と兄という意味よりももっと広い意味を持った使い方だと考えた方がよいと思います。同族の年下の女性ということであるのか、あるいは当時の男性が愛する女性を呼ぶ呼び方の一つであったのか、そのようなことでしょう。いずれにしても、恋人であったり婚約者であったり、そういう他を寄せ付けない特別に親密な関係の呼びかけであることは、文脈から考えても間違いありません。
今日の冒頭に引用したところでは、このように言っています。
「私の妹、花嫁は閉じられた園。
閉じられた池、封じられた泉。」
恋人、婚約者という園、池、泉は、閉じられ、封じられています。他を寄せ付けない。愛しい恋人と私との二人以外の者には入ることのできない、二人だけの空間。そういうことではないかと思います。
神さまと私たちとの関係も、まさにそうです。祈ることについても、聖書の御言葉を聞くことについても、他人には入り込むことのできない神さまとの二人きりの聖なる空間があります。コリントの信徒への手紙一に、夫婦の関係についてのこのような言葉があります。「互いに相手を拒んではいけません。ただし、合意の上で、祈りに専心するためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です」(7:5)。夫婦はお互いに相手を拒んではいけない、関係をおろそかにしてはならない。それはとても厳格な定めです。ただし、一つだけ例外があるのであって、祈りの時間だけは別々にもって差し支えない、と言うのです。もちろん二人で一緒に祈ったっていい。しかし、その前提はそれぞれが一人で神さまの前に出る、神さまとの閉ざされた祈りをしていることです。この祈りには、例え夫婦でも立ち入ることは許されません。親子でもそうです。例え親であっても、子どもの祈りに口を挟んではならない。それは神さまと彼・彼女との聖なる空間だからです。
恋人との二人きりの時間と空間が特別な喜びであるように、私たちの神さまとの二人きりの時間と空間は、特別な喜びの時です。甘美な祈りの時に、キリストは花嫁たる私たちを招いていてくださいます。

2024年3月28日の聖句

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