2021年8月31日火曜日

2021年8月31日の聖句

主は言われる:かつて、この民にこの大きな災いをくだしたが、今や、彼らに約束したとおり、あらゆる恵みを与える。(エレミヤ32:42)
愛する者たち、私たちは、今すでに神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。(1ヨハネ3:2)

時間って、一体何でしょうか?
私たちは生まれた時からずっと時間の中で生きていますし、時間とは何かと特に考えなくても時間は過ぎていきます。しかし改めてこの当たり前のように享受している時間とは何かと考え始めると、そう簡単な問題ではなさそうだと思わざるを得ません。そして、歴史上のたくさんの人がそのことを考え、哲学や自然科学などいいろいろな立場から、さまざまな答が提示されてきたのではないかと思います。
今朝私たちに与えられている聖書の御言葉は、聖書の時間論とも言えるものではないかと思います。「かつて」と始まっています。主が言われるのです。「かつて、この民に大きな災いをくだした」と。この災いは、明らかに神の裁きという意味です。人々が罪を犯し、神がそれを裁いた。罪の過去、それがわたしたちの「かつて」です。
ところが、「今や」彼らに約束したとおり、あらゆる恵みを与える、と主は言われます。今や、罪の過去は取り払われ、神の子とされた恵みの現在がここにある。私たちは神がこの私を神の子として生かしてくださっている、神の恵みによる「今」を生きている。
そうやって今を生きる私たちに、神が約束しておられる将来がありまます。「愛する者たち、私たちは、今すでに神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。」将来、私たちがどのようなものになるのかは、まだ私たちに示されていません。しかし将来については神の子とされた恵みの今から考えることができます。私の罪を過去のものとし、今神の子としてくださった方は、同じ恵みによって私たちの将来を拓いてくださるに違いありません。
これが私たちの時間の意味です。神が罪を過去のものとし、恵みの今を生きる私たちに、キリストにある将来が約束されている。今日も、私たちは「今日」という時間を生きていきます。この「今」は神の恵みによって支えられています。神の祝福によって、今この時を歩まれますように!

2024年4月27日の聖句

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