2021年8月5日木曜日

2021年8月5日(コヘレトの言葉9:1〜6)

コヘレトの言葉9:1~6
私はこれらすべてを心に留め、明らかにした。すなわち、
正しき者も知恵ある者も
  彼らの働きは神の手の中にある。
人は、愛も憎しみも
目の前にあるすべてのことを知ることはない。
すべての人に同じことが起きているにすぎず
一つの運命が
正しき者にも悪しき者にも、善人にも、
清い人にも清くない人にも
いけにえを献げる人にも献げない人にも臨む。(1~2節)

どのような人にも同じ運命が臨む。コヘレトはここで誰であっても必ず死ぬときが来る、と言っています。「その後は死者のもとへ行く」(3節)。その人がどんなに正しい人であったとしても、逆にどんなに悪い人であったとしても、同じように死にます。私たちの愛も憎しみも、死を乗り越えることはできません。これまで人間が生まれてから無数の人々が経験してきたこの事実をコヘレトはじっと見つめます。
「メメント・モリ(あなたの死を覚えよ)」という言葉があります。自分自身の死をいつも忘れず、覚え、これを見つめて生きよ、という言葉です。コヘレトは「メメント・モリ」の人だったのではないかと思います。私は必ず死ぬ。私の愛する人も。じっとその事実を見つめてたとき、コヘレトはここまで読んできたことからも明らかなとおり、今日神さまに与えられた命を喜び、楽しもうと言い続けてきました。食べることや飲むことも楽しもう。神が与えてくださった命、神が与えてくださった喜びではないか、と。自分の最期の時を見つめることは、今を生きるということでもあります。私たちは自分の死を見つめることによって、自分の命を見つめるのです。
私たちにとって死を見つめるというのは、私たちの生きているときにも死ぬときにも私たちの真実な救い主でいてくださるイエス・キリストを見つめるということに他なりません。「主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心をすべての人に知らせなさい。主は近いのです」(フィリピ4:4~5)。私たちを死から救うために私たちのところへ来てくださっているキリストを見つめ、喜んで今日の日を生きていきましょう。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...