2021年8月9日月曜日

2021年8月9日(コヘレトの言葉10:1〜20)

コヘレトの言葉10:1~20
死んだ蠅は香料職人の油を臭くし、腐らせる。
少しの愚かさは知恵や栄光よりも高くつく。(1節)

この章は賢さと愚かさを巡る格言集です。賢さと愚かさが一貫した主題とも言えますが、むしろいろいろな格言が納められているという印象を受けます。
例えば2節の「知恵ある者の心は右に、愚かな者の心は左に」という言葉は、知恵ある者と愚かな者とを鮮やかに対比します。両者は右と左に別れるほどに異なる結末を迎える。恐らく、文脈からすると当然、知恵ある者は幸いになり、愚かな者は不幸になると言っているのでしょう。
あるいは3節では「愚かな者は道行くときも思慮に欠け、誰にでも自分が愚かな者だと言い触らす」と言っていますが、思慮に欠けた愚かさを戒め、熟慮して知恵を持って生きることを勧めています。この3節に続く言葉も、思慮に欠ける浅はかさへの警告だろうと思います。「支配者があなたに憤っても、自分の場所を離れてはならない。」これに関わる言葉がこの章の最後のところに登場します。「心の中で王を呪ってはならない。寝室で富める者を呪ってはならない。空の鳥がその声を運び、翼を持つものがその言葉を知らせてしまう。」支配者、権力者、力ある者、富める者。彼らが横暴に振る舞うことがある。しかしそれに対して寝室の中でさえも呪うな、と言うのです。空の鳥がそれを運んでしまう。人の口に戸はかけられないということでしょうか。必ずその呪いの言葉は支配者の元に届き、あなたが罰せられてしまうから、ということであろうと思います。この世の権力者との関わりにおいても、知恵が必要です。
この章の冒頭の1節の言葉が特に私の心に残りました。
「死んだ蠅は香料職人の油を臭くし、腐らせる。
少しの愚かさは知恵や栄光よりも高くつく。」
愚かであることの代償は、知恵や栄光をも腐らせてしまうことだ、と言うのです。こういう言葉を読むと、改めて自分の愚かさが恨めしくなります。知恵ある人、賢い言葉を持っている人、そういう人に本当に憧れます。ただ、聖書の知恵はいわゆる頭の良さであるよりも、むしろ箴言が言っていたとおり、神を畏れることから始まる知恵であろうと思います。信仰や敬虔さと知恵との関わりは深い。そうとすると愚かさというのは、神を蔑ろにする愚かさでしょう。知恵は、悔い改めをもってしか求め得ないのではないでしょうか。

2024年4月20日の聖句

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