2021年9月14日火曜日

2021年9月14日の聖句

いかに幸いなことでしょう、弱いものを受け入れる人は。災いの降りかかるとき、主はその人を助けてくださいます。(詩編41:2)
憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける。(マタイ5:7)

「いかに幸いなことでしょう、弱いものを受け入れる人は」と、聖書は言います。「弱いもの」というのは、どういう存在なのか?聖書にはその代表的な存在として、外国人寄留者、寡婦、孤児などが登場します。彼ら・彼女らは社会の中で生きる基盤が非常に弱く、貧しいことも多く、とても弱い立場にいました。それは、聖書の時代から何千年もたった今でも同じです。
新約聖書の時代になると、「弱いもの」として、徴税人や罪人と呼ばれる人々も数えられていると思います。徴税人の多くは金持ちでしたので、ある意味では強いものです。ところが社会の中では尊敬されていなかった。というよりも見下げられ、蔑まれて、つまはじきにされていました。あるいは「罪人」と呼ばれている人々がどういう人たちだったのか、の全貌はよく分かりませんが、そこには例えば売春婦も含まれていたようです。彼女たちも、とても激しく差別されていました。それも、現代でも同じです。
あるいは、今聖書を読んで徴税人や売春婦を差別するファリサイ派を眺めながら、「ファリサイ派っていやだな」と言っている私たちを御覧になって、主イエスは言われるかも知れません。私はファリサイ派のような弱いもののために来たのだ、と。私たちの正義感が叩き潰す人々、あの人は非難されて然るべきだとみんなが思い込んでいる「悪い人」、群衆の陰口の標的になっている人。彼らは一見すると弱いようには見えなくても、主イエス様の目には、救うべき弱い人と映っているのではないでしょうか。
「憐れみ深い人々は、幸いである」と主イエスは言われます。そのように言う主イエスさまこそが、本当に憐れみ深いお方です。キリストこそ、私たちへの無限の憐れみを見せて、哀れな罪人である私たちを救ってくださいました。キリストの憐れみが私たちを生かしてくださいます。私たちも憐れみの人として生きるようにと、主イエスが私たちを温めてくださっています。

2021年9月20日の聖句

私は死ぬことなく、生き長らえて、主の御業を語り伝えよう。(詩編118:17) 生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。(ガラテヤ2:20) 今日の新約聖書の御言葉は、この部分だけではなく前後も一緒に読んだ方が良い箇所だと思います。このように...