2021年9月17日金曜日

2021年9月17日の聖句

主に造られたものはすべて、主をたたえよ。主の統治されるところの、どこにあっても。私の魂よ、主をたたえよ。(詩編103:22)
人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国の宴会の席に着く。(ルカ13:29)

東から西から、南から北から。世界中のどこからでも、ということになります。あらゆる人々、言語も文化も歴史も、これまで背負ってきたものはさまざまであり、状況も事情も異なります。多様で、種々雑多で、本当にいろいろな人がいる。そういう人々が一つの色に染められたり、多様性を失ったりするのではなく、東から来た者も西から来た者も、南から来た者も、北から来た者も、それぞれの東や西や南や北から来た者として、神の国の宴会の席に着くのです。
「主に造られたものはすべて、主をたたえよ」と言っています。主に造られた者です。主が、私たちをこのように造ってくださいました。男に造り、女に造り、この時代に造り、この国に造り、このような私に造ってくださいました。なかなか人には分かってもらえない私を、どこかに隠し持っているかも知れません。その「私」も、神が造ってくださいました。そのような私として、神に造られた者として、私たちは神をたたえます。すべての造られた者が神を賛美しますように、と、私たちも神さまをたたえます。
私たちが一つになれるとしたら、それはただ同じ神の愛の中に生かされているという事実の中でだけなのではないかと思います。人間が考えたり造り出したりする「一つ」は、多くの場合、「東から西から、また南から北から」という事実をなくしてしまう一つです。あるいは、人間が生み出す多様性は、「一つ」を放棄した多様性になってしまいます。まるで神さまがバラバラにされてしまったかのように。私たちは、ただ神の愛と憐れみの中でだけ、一つであることができます。神の国の宴会の席、それは私たちの努力や可能性の延長にあるのではなく、ただ神様だけがもたらすことのできる奇跡です。神さまの御許に、私たちの最高のしあわせがあるのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...