2021年9月24日金曜日

2021年9月24日の聖句

正しき者の待望は喜びとなる。(箴言10:28)
あなたがたが、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。(ヘブライ6:12)

今朝の新約聖書には「信仰」という言葉が出てきます。この「信仰」ということについて、ヘブライ人への手紙にはこのようなすばらしい言葉が書かれています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」神さまが始めておられる新しい出来事に期待し、信頼して一歩踏み出すこと。それが信仰です。
旧約の預言者を通して、神さまはこのように言いました。「見よ、新しいことを私は行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。私は荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」(イザヤ43:19)。
神さまは、何もない荒れ野にも新しい道を敷かれる方です。死に満ちた砂漠に大河を流れさせることがおできになる方です。しかし、それは、まだ私たちの目には見えません。私たちの目の前にあるのは荒れ野であり、砂漠です。信仰は、砂漠に道を敷き、大河を流れさせるという神さまの御言葉を「この現実にもかかわらず信じること」です。「この現実のゆえに信じる」のではありません。この現実にもかかわらず。たとえ現実がそれに逆らっていたとしても、いやそうであるからこそ、神さまの御業に期待し、待望し、信頼する。それが信仰です。
正しき者の待望は喜びとなる、と聖書は言います。神さまを信じる待望は必ず喜びの実を結びます。神さまは必ず御自分の御業を果たしてくださるからです。それを信じることには忍耐が必要です。簡単なことではありません。忍耐して信じることこそが私たちの信仰の戦いです。何もないところに御業を果たしてくださる神さまを、私たちは信じます。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...