2021年10月19日火曜日

2021年10月19日の聖句

主はあなたがたに恵を与えようとして待つ。(イザヤ30:18)
息子はまだ遠く離れていたのに、父は息子を見つけて憐れに思い、走り寄って首を抱いて接吻した。(ルカ15:20)

ここに出て来るのは、父を拒んだ息子です。彼は、父に自分がもらうことになっている財産の分け前を要求しました。その傲慢に応えて、父は彼が生きるために必要なものを与えてくれました。しかしそれをすぐに金に換えて、父から遠く離れてしまったのです。遠い国で放蕩の限りを尽くし、結局は飢饉のために行き詰まり、かといって助けてくれる友達もいなかった。豚の餌でも食べたいと思いましたが、誰も何もくれませんでした。そこでやっと我に返った息子は父の家に帰ろうと決意し、家路についたのです。
「息子はまだ遠く離れていたのに、父は息子を見つけて憐れに思い、走り寄って首を抱いて接吻した。」
まだ遠く離れていたのに父が息子を見つけたのは、父が息子を待っていたから。他の理由は考えられません。父は息子が帰ってくるのを待ちわびて、毎日外に出て息子がいなくなった方向を見つめていたに違いない。これは、私たちの慈しみ深い神さまの父としての愛を伝えるために主イエスが話してくださった譬えです。自分を捨てた息子を待ちわびる父は、ご自分を捨てた私たちを待ちわびる神さまです。「主はあなたがたに恵を与えようとして待つ。」神さまは、私たちを待っていてくださいます。しかも、恵を与えるために待っていてくださるのです。私たちが神さまの愛を裏切り、神さまを捨て、傷つけたとしても、そんな私たちに恵を与えるために、神さまは待っていてくださいます。
ですから、私たちも神さまの御許に返りましょう。息子がそうであったように。父の家を思い出した息子のように、私たちも神さまの御許にある幸せを思い出しましょう。毎日、繰り返し、神さまの御前に返りましょう。そこにこそ、私たちの最高の幸せがあるからです。神さまの御許にこそ、私たちを本当に生かす恵があるからです。

2024年4月20日の聖句

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