2021年10月21日木曜日

2021年10月21日の御言葉

ルツは言った:あなたを捨て、あなたに背を向けて帰るよう仕向けないでください。あなたが住むところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。(ルツ1:16)
ユダヤ人もギリシア人もありません。奴隷も自由人も、男も女もありません。あなたがたは皆キリスト・イエスにあって一つだからです。(ガラテヤ3:28)

今日の新約聖書の御言葉はガラテヤの信徒への手紙の一節です。ガラテヤというのは小アジアの中部に位置し、つまりイスラエルの外にあります。従って、ガラテヤの教会の人々の多くは異邦人でした。この手紙を書いたパウロが伝道して生まれた教会です。十字架にかけられたキリスト、私たちのために死んでくださったキリストの恵みによって私たちは救われる。彼らはそう信じて洗礼を受け、神を信じて生きていました。
ところがパウロがガラテヤ教会から旅立って別の場所で伝道を始めた後、別の指導者がガラテヤ教会にやって来た。彼は、確かにキリストの恵みによって救われるのだが、そのためには、旧約聖書が命じているとおりに割礼を受けなければならないと説きました。ガラテヤ教会の中にはその言葉を信じて、割礼を受ける者も出てきました。
パウロはそれを聞き、嘆きます。「ああ、物わかりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが"霊"を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。」割礼を受けなければならないという教えには二つの問題があります。一つは割礼という「善行」によらなければ救われない、という問題。これを是とすると、結局人間を救うのは神の恵みではなくて人間の善行ということになります。もう一つは、割礼に潜むユダヤの民族性です。割礼は律法に定められていましたが、この時代の割礼の実際的な意味は「ユダヤ人になる」ということでした。異邦人はまず割礼でユダヤ人になって、それから神さまを信じる資格がある、ということになってしまいます。
かつて、カンバーランド長老教会の総会がアメリカで開かれると、正面に星条旗が飾られていたそうです。しかし教会は「アメリカ人の教会」ではありません。もちろん「日本人の教会」でもないし、「コロンビア人の教会」でもない。民族性を超えた場所です。やがてその旗は撤去されました。今朝の旧約のルツという女性は、やがてダビデ王の曾祖母になる人ですが、もとはモアブ人でした。モアブはイスラエルの宿敵のような存在です。しかしモアブの女がやがてダビデの家の母となり、この家系からイエスがお生まれになります。教会は民族を超えている。私たちは、いつの間にか知らず知らずのうちに何かの旗が掲げられていないでしょうか?

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...