2021年12月11日土曜日

2021年12月11日の聖句

神はもろもろの民の計画をくじかれる。(詩編33:10)
知恵ある者はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神はこの世の知恵を愚かなものになさったのではありませんか。(1コリント1:20)

私たちのどんなに良いと思った計画も、これで行こうと考えていた期待も、神さまは時に打ち砕いてしまわれます。私たちは計画を変更せざるを得ず、理不尽な思いが残ることもしばしばです。
3月11日の震災で福島第一原子力発電所の事故による被害を受けた原町教会という教会があります。震災後に私も一度伺ったことがあります。幼稚園が併設されていますが、園庭に大きなモニタリングポストがありました。あの震災の翌月の4月に朴牧師という若い先生がこの教会の牧師として就任することになっていました。震災後の3月中に彼女は一度故郷の韓国に戻り、ご両親に会ってから原町教会に向かいました。あの時の恐怖感を思い出すに、相当の覚悟をもって向かったに違いありません。
実はこの朴牧師は、国立のぞみ教会の唐澤牧師の神学校での同級生なのだそうです。それで、私もそのような話を唐澤牧師を通して伺いました。しばらくして少しずつ落ち着いてきたころに、国立のぞみ教会で朴牧師を招いて礼拝の説教をして頂いた。その時の説教題は「遠足に雨を降らせる神さま」というものだったそうです。残念ながら私はその説教は聞けませんでしたが、どういう話をなさったのか、想像をかき立てる題名です。神さまは時に私たちの計画や期待を裏切るし、祈っても無駄だと思われることも起こる。しかし、神さまは私たちには思ってもみなかった救いの御業をなさる。そんな話をなさったのかな、と想像しています。きっと万感の思いで説教なさったのでしょう。
私たちがどんなに知恵を尽くし、あるいはこの世の最高の知者が計画しても、私たち人間がすることは挫折をするし、その計画が中断させられることはしばしばです。しかし神さまはむやみやたらに私たちに挫折感を味わわせるためにそのようになさるのではなくて、私たちの知恵にはとても生み出せないもっとすばらしい出来事のために、私たちの計画を時には挫くのです。それは私たちの目には大きすぎて、見えません。「よかった」なんて軽々とは言えない事柄の中に突き落とされてしまう。しかし、それでも、神さまのなさることは私たちの思いを超える救いの御業につながる。私たちはそう信じています。この神の恵みと慈しみが、今日もあなたにありますように。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...