2021年12月12日日曜日

2021年12月12日の聖句

私は私の聖なる名を知らせる、私の民イスラエルの中に。(エゼキエル39:7)
イエスは祈られる:私は彼らにあなたの御名を知らせ、これからも知らせます。私を愛してくださったあなたの愛が彼らの内にあり、私も彼らの内にいるようになるためです。(ヨハネ17:26)

名前というのは、他と区別をするために必要なものです。同じように赤い太陽でも、朝に昇ってくるから朝日と呼ばれ、夕方に沈んでいくから夕日と呼ばれます。私の名前も、宮井という家族の一員であり、その中でも他の人間と違う岳彦という人間を表すものとして使われます。
そう考えると、本来神さまには名前は必要ないはずです。八百万の神か何かであれば名前がないと区別がつかないので必要かもしれません。しかし真の神さまは唯おひとり、唯一無二の方ですから、神であるということ以外の名前は必要ないはずです。あるいは名前をお持ちでも、それを私たちに知らせる必要はありません。ところが神さまは「主」というご自分の聖なるお名前を私たちに知らせてくださいました。これは主なる神様のへりくだりです。私たちが主とお呼びすることを喜んでくださる。神さまの私たちへの愛です。
「私は彼らにあなたの御名を知らせ、これからも知らせます。私を愛してくださったあなたの愛が彼らの内にあり、私も彼らの内にいるようになるためです。」主イエスさま御自身が、神さまのお名前を私たちに伝え、神さまの愛を私たちに知らせるとおっしゃいます。主イエスさま御自身が神さまから受けた愛によって、私たちを包んでくださる。私たちが神さまを知り、そのお名前を知って祈るとき、私たちは神さまの愛の中に生きているのです。
主イエスは、私たちに「父よ」と祈ることを教えてくださいました。神さまは主イエスさまにあって、ご自分の「父」というお名前を教えてくださった。この方は、すべての父と呼ばれる者の父です。この方は、全き、絶対的な愛のお方です。私たちのために謙って名前を教え、私たちが「父よ」とお呼びして祈ることを喜んでくださり、私たちをご自分の愛の中に生かすことを御自身の喜びとしてくださったのです。ですから、私たちは祈りましょう。「主よ」と。「父よ」と。そしてこのお方の愛の中に憩いを頂きましょう。

2025年7月2日の聖句

主は高くおられ、低くされた者を顧みる。遠くから、高慢な者を見抜かれる。(詩編138:6) (ある金持ちの言葉)「魂よ、この先何年もの蓄えができたぞ。さあ安心して、食べて飲んで楽しめ。」しかし、神はその人に言われた。「愚かな者よ、今夜、お前の魂は取り上げられる。お前が用意したものは...