2022年1月17日月曜日

2022年1月17日の聖句

主をほめたたえよ。我らの神をほめ歌うのはなんとすばらしいことなのだから。(詩編147:1)
詩と賛美と霊の歌をもって互いに励まし合い、主に向かって心から歌い、奏でなさい。(エフェソ5:19)

今日の新約聖書の御言葉は、エフェソの信徒への手紙の一節です。私はこの手紙が好きです。パウロが書いた手紙の中でも「獄中書簡」と呼ばれるものの一つで、パウロが牢獄につながれている時に書かれました。オランダの画家レンブラントが、獄中のパウロの絵を描いています。この絵も私は大好きなのですが、暗い牢獄につながれたパウロを、小さな明かり取り窓から指す陽の光が照らしています。パウロの手もとには分厚い紙の束があって、ペンを手に持って、何かを書いている。パウロの脇には剣があります。牢獄の中に剣があるなどということはあり得ないので、これは象徴でしょう。このエフェソの信徒への手紙の中に「霊の剣、すなわち神の言葉」という下りが出て来るので、そのことを意味していると思われます。そう考えると、この絵に描かれたパウロが書いているのは、恐らくエフェソの信徒への手紙なのではないかと思います。
パウロに指す光は、獄中にあってもパウロが抱く望みの源泉、すなわちキリストの光の象徴でしょう。パウロはこの手紙の中で、このようにも言っています。「あなたがたは、以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています。光の子として歩みなさい。」キリストの光に照らされて、パウロは、牢獄につながれているときにも神を信じ、愛し、礼拝し、賛美しています。「詩と賛美と霊の歌をもって互いに励まし合い、主に向かって心から歌い、奏でなさい。」この言葉の通り、パウロ自身が神をほめたたえ、喜んでいきていたのでしょう。キリストの光に照らされて!
神を賛美することは、私たちの喜びです。このお方の光にてされて、私たち自身までも光の子として頂いたからです。獄につながれても消えることのないこの光は、私たちをどんなときにも照らし続けます。私たちにどのようなときにも望みを与え、私たちの暗闇に属す心に光を灯し、私たちをキリストのものとして、神の言葉の剣によって強くします。このように私たちを光で照らし、力を与え、賛美の言葉を口に授けてくださる方に、栄光と誉れが世々限りなくありますように。アーメン。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...